考えることは問題じゃない

「瞑想中は考えません」なんていうと、思考そのものを悪者扱いして
いるように感じる人がいるかもしれないけど、それはちょっと違う。

たしかに呼吸の瞑想中は考えずにリアルな感覚に意識をおく。
自然に湧いてくる考えを敵対視もしない。
けど考えに、さらに考えを足すことを
せずに流れるままにしておく。
「考えない!ということを考えない。
考えを転がさず、その物語のなかに巻き込まれない姿勢を貫く。

考えをこねくり回すと瞑想にならない。
でも考えること自体、悪いことではない。
瞑想中に考えることは、
浮き輪をつけたまま海に潜るようなものだ。
でも、浮き輪が悪いわけではない。

考えること自体、自然に発生したニュートラルなものだ。
人間に手があること自体に、良いも悪いもないのと同様だ。

問題になるとしたら「考える」「どんなエネルギーで動いているか」だ。
たとえばパートナーに対して怒っている時に、その人のことを考えると
最後には殺人に至るかもしれない。
それは「考える」が問題ではなく、「怒りのエネルギー(煩悩)」になる。
思いやりに満ちた人が考えると、人を活かす発想が生み出される。
つまりはどんなエネルギーに「考え」が使役されているかが問題だったりする。

昔の私は短絡的に「考えることはよくないのかも」と思っていた。(恥ずかしい!)
しかし、今では思考がどんな感情(エネルギー)で動いているのか気づくことで、
健全な思考を保つようにしている。
仏教の八正道にある「正しく考える」というのは、
きっとクリアな心の状態で考える、ということなんだろう。
経典なんかを見ても、ブッダの思考力はキレキレで、
しっかりと考えている人であったことがわかる。

「瞑想をすると頭が良くなる」という人もいるけれど、
それは例えるなら、よくない男に恋愛中で客観的な考えが出来なくなっている
人をその友達が冷静に見ているみたいなことだ。
恐怖に震えていたり、欲をかいてギラギラしている時は、
目先のことしか見えなくなって愚かなことをしがちだ。
やっぱりそれも「考える」という道具が問題ではなくて、
それを動かすエネルギー(心の力)が問題なんだよなぁ。

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Category: ヨガ的かんがえ, 瞑想

- 2015年6月10日

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