思考ではじまり、ヨガで終わる

 

知識を蓄積しても、人の心は表層しか変わらない。
私も本を読んできたけれど、
最近、その効果に疑問を抱いている。
たしかに科学的な知識や料理の仕方や、
菜園のやり方などは本を読めばどんどん変化していくけれど、
根本的な「人間」を変える力はない。

知識は結局のところ、
「わかっちゃいるけどやめられない」を超えられないものだ。
「人を傷つけてはいけません、嘘はいけません」と
小学生でも理解できることでも、
実践するとなると理解の簡単さとは比較にならない
奥深さがある。

概念だけでは人は変わらない。
ダイエット中にドーナッツを食べてはいけないことは
すぐに理解できるけれど、それがドーナッツへの抑止力になるかと
いえば疑問だ。
変化には、もっとリアルな実践が必要だ。
思考は大切で「ドーナツは太る」という知識は必要だけど、
それは変化の前半部分でしかない。
リアルなエネルギー体としての人間に作用するものではないと
変化はおこせない。
哲学では人は本当に変わらない。
どんな形にせよ「行が必要だ。
それは人によっては肉体を使うヨガだったり、
瞑想だったり、走ることだったり、肉体鍛錬だったりする
けれど、人を変えるのはその概念を行動化して
心身に浸透させる「行」なのだ。
(「行」は良い習慣とも言い換えることができるだろう)

たしか「呼吸による癒やし」でラリーローゼンバーグ先生が
書いていたけれど、
瞑想はアイデアや概念ではなくて肉体労働に近いのだ。
「する」もの。

ハタ・ヨーガ・プラディーピカーには
「ハタヨーガは人生の苦熱になやむ人にとって寄りたのむ庵室である、
ヨーガの道にはげむ人たちすべてにとっては世界を支える亀にひとしい」
という記述がある。

考え方は実体を持たないために、良く考えることもできれば
悪く考えることもできる。
風に揺られる旗にように、心は千変万化して安静にはならない。
考えることは簡単に悩むことに繋がる。
でも、体を使って行を積むヨガは、
考え方を左右する根本的にリアルなものに作用して、
旗を揺らしている風を弱め、心を安静にする。

人生の苦熱があって、どうしよう?という考えがはじまりに
あって、行(ヨガ)に至る。
思考ではじまり、ヨガでおわる。

参考資料

呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想
ラリー ローゼンバーグ
春秋社
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ハタ・ヨーガ・プラディーピカー 前編 (YOGA BOOKS)
成瀬貴良
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Category: エッセンシャルヨガ, ヨガ的かんがえ

- 2016年4月18日

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