好きなことをしない人生って?

人それぞれ好きなことがある。
そして、たいてい好きなことは得意なことだ。
才能はそこにある。
たとえば「踊る」ことに苦労する人もいるけど、
才能があれば何気なくできる普通のことになる。
人それぞれ、持っている才能は違う。

才能に関して、私が最近目を開かれたのは、
5(ファイブ)」に掲載されていた死に際の男の話だ。

 

<年老いた男がひとり、ベッドに横たわって最期のときを迎えていた。
ふと目を覚ますと、大勢の人が自分のベットを取り囲んでいるのが見えた。
どの顔を愛情にあふれていたが、どこか悲しげだった。
男は困惑しつつも弱々しくほほえむと、消え入るような事で言った。

「きみたちは、子どものころの遊び仲間だろう?
お別れを言いに来てくれたのかい。本当に嬉しいよ」

すると、いちばん背の高い人物が歩み出て、
男の手をやさしく握りながら、こう答えた。

「そう、わたしたちはあたなの親友、いちばん古い親友です。
でも遠い昔に、あたなはわたしたちを見捨てた。
わたしたちは、果たされなかった青春時代の約束です。
実現しなかった希望です。
あなたが心の底から望んでいながら、結局は一度も追いかけることの
なかった夢であり、計画です。
わたしたちは、磨かれることのなかったユニークな素質、
発見されることのなかった特別な才能です。
古い友よ、わたしはあなたをなぐさめにきたのではありません。
あなたとともに、死ぬために来たのです」>

その時、私はこの架空の男の死に際を追体験した。
このままではおまえも同じように死んでいくぞ、と
言われたようで、目が覚める思いがした。

青春時代、私には目標があった。
しかし、ほとんど追いかけることなくいつの間にか
生活の忙しさに流されて、諦めてしまった。
精一杯やっただろうか?
自分の限界まで磨くことはできただろうか?
そう問われると、できなかったと答えるしかない。

だから、少しづつでもやろうと思う。
スキマの時間を見つけて再び目標に取り組んでいる。
なんのために?
それは死ぬときに後悔しないためだ。
たとえ世間的になんの意味も無かったとしても
私の人生にとっては意味深い。
死に際に「いちばん古い親友」と力強く握手し、
さまざまな思い出を語り、お互いの健闘を讃えながら
逝くことができる。

なんでもプロになったり有名になったりしないと
失敗みたいな価値観は捨てる。

サッカーが好きだった少年は、中年になっても
シニアリーグでサッカーして楽しめばいい。

絵が好きなら、プロの画家になれなくても、
描くことを楽しめばいい。

もしかしたら、一番好きなことに挑戦しない、という人も
いるかもしれない。
本当に好きなことって怖いことだ。
その好きなことでダメだと言われたら、

自分のすべてが否定される、それは恐怖だ。
それだったらそれには手を付けづに
「やっていたらできたかもしれない」という可能性を
保留して生きることを選ぶ人も多い。
でも、そんな人生は生きたって言えるんだろうか。

才能を追求しても、お金儲けに結びつかないことや、
人から褒めてもらえない可能性は高い。
一生日の目を見ないかもしない。
でも、やるべきだと思う。
自分の才能を見捨てたまま、どうやって充実した人生を
生きればいいのか。
そういう方法を私は思いつかない。

 

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Category: 読書

- 2015年3月8日

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