心に支配されない態度

 

心は川のように喜怒哀楽が流れている。
10分後にどんな感情になっているのか、
それは私達にはわからない。

 

この心の流れが自然なうちは問題ない。
子供は大泣きしたり大笑いしたり喜怒哀楽が
激しいけれど、川の流れは自然で一晩寝たら
大抵のことは綺麗に流れている。
これと同じことができる大人は少ない。
でも、瞑想的に生きればそれはできる。

心配事や、過去の失敗が心の中に蘇ってくると、
私達はびっくりして大げさに反応する。
それを力まかせに掴んで、なんとか対処しようとする。
何か他のことを考えようとしたり、
アルコールなどに逃げたりする。
でも、これは上手くいかない。

うまく対応するには、このことを理解しないといけない。
「心に思い浮かんだことは真実ではない」
ということだ。

説明すると、心(脳)は、人を守るために存在する道具だ。
思い描く心配や悩みは、過去の経験から計算された可能性でしかない。

これの凄いところは、心はそれを水増しして
私達に見せるところだ
たとえば大切な発表会があって、それを想像すると足が震える。
でも、始まってみると「思ったほどでもない」
あんなに心配する必要なかったなぁ、という経験。
「恐怖心」のほうが実際の危険よりも有害なのだ。

同じことは欲望にもいえる。
「凄く欲しいアイテム」を手に入れたり、
「見たくてしょうがなかった映画」を見た時、
「あれ?思ったよりも嬉しくない」という経験があるだろう。
それは心のトリックで、あなたを動かすためにキラキラと脳内加工して、
飴を塗りたくっているのだ。

だから、心配事が頭に浮かんでも、欲望が頭に浮かんでも、
「これは真実なんだ!マジに対応しないといけない」
と過剰反応する必要はない。

きちんと1つ1つ感じていけばいいのだ。
「うわっ、なんだこの考えは!」と驚いて、他の考えで塗り消そうと
抑圧したり、
「どうしたらいいんだろう?」とその考えろ転がして転がして、
雪だるま式に大きくしない。

「なるほど、私は今、こういうことを考えているんだな」

と拒絶も増殖もさせずに、ありのままを感じとればいいのだ。
(ちなみに、これをマインドフルネスという。
感情の初期の状態で拒絶も執着もせずに、ありのままに
観察できればそれは消えていく)

これは大きな違いだ。
私が自分自身の支配者だとして、いままでは危険や儲け話を「必ず盛って話す家臣」たちの
話にひとつひとつ過剰反応して、耳を傾けて話しこんで
心配や取らぬ狸の皮算用をしていた。
しかし、流れてくる考えを深刻に受け止める必要はない。
ほとんど世話話のように軽く流すくらいでいいのだ。

回想していると、

ある老人の話が思い出される。

その老人は死の床でこう言ったのだ。

生きている間には数々の心配ごとがあったが、

その心配が当たったことはほとんどなかった。

ウィンストン・チャーチル


Category: 瞑想

- 2015年1月27日

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