お金の起源と世界の終わり

農業は儲からない。
でも、この世に野菜や穀物がなければ飢える。
絶対に必要な仕事だけど農家をして一生懸命働いてもたいしたお金にはならない。
農家の後継者不足は
「サラリーマンをしたほうが簡単にお金を稼げる現実」という側面がある。

農業と低賃金、このギャップはなんだろう。
考えてみて閃いたのは、お金という測りの歪みだ。

お金という「測り」は、あたりまえだけど正確なものじゃない。

ウォール街の証券会社は、凄いお金を儲けている。
健康食品の社長が、大儲けで納税で日本一になったりする。
野菜よりも価値が高いから、より多くのお金を儲けているのだろうか。
もしも、明日から1年間、ウォール街がまるまる無くなり、
サプリメントを作っている会社がこの世から消えても
私は気づきもしないかもしれない。
でも、1年間、日本にまったく野菜も穀物も流通しなくなると、
死者がでるだろう。餓死するからだ。

お金は人間の道具だ。
だから、人間が価値を感じるものにしか多く支払われない。
動物と人間を隔ているもの。
それは「巨大な欲望」だと私は思う。

「人間特有の道具であるお金」は欲望のあるところに多く集まる。
そして、野菜は欲望されないものだから安い。

ビジネスにするには、欲望を叶えるものでなくてはならない。
だから、もともとは「精神を高めるためのヨガ」もよりビジネスとして、
稼ごうとすると美容やダイエット、アンチエイジングの欲望を叶える手段に堕落してしまう。
なんでもそうだ。
ビジネスとは欲望をいかに煽れるかだ。
企業がCMをするのは、必要がないものを必要だと思わせるためだ。
欲望を煽って、あれもこれも買わないといけない消費者を作り出すことが、
企業の仕事なのだ。

さあ、本当にビジネスとは欲望なんだろうか?
その仮定はあっているのか?

簡単な想像をしてみよう。
もしも全人類の90%が、ブッダのサンガ(集まり)にいたレベルの
人たちだとしたら。
欲望は限りなく少なく、持ち物は継ぎ接ぎだらけの衣と
托鉢用の器だけ。
いったいどれだけのビジネスがそんな世界で生き残れるだろうか?
世界から欲望が消えてもなお残る商売は、
生存にかかせない衣食住だけの最低限のものだけだろう。
紀元前の哲学者のソクラテスは市場を眺めて、

「私に用がないものがずいぶんあるのだな」と言った。

商売が盛り上がるには欲望が絶対に必要で、
その欲望を煽ることができればできるほど儲かる。
価値があるから儲かるんじゃなく、
それが欲望を煽るから儲かる。
そして、欲望が少ないもの相手には大儲けのビジネスは成り立たない。

野菜が安いのは、生活必需品で欲望がほとんど絡まないからだ。
ブドウよりも、ワインが高い。
ただのワインよりも、ビンテージで数が限られたワインの方が高い。
欲望に沿った形で加工して、さらに「数量限定!」という希少価値で
さらに欲望を煽る。
人間のすることは、そんなことばっかりだ。

もう一歩踏み込んで考えれば、
我々のいう仕事は、地球になにも生み出さない。

破壊的な影響しかない。
そうやって考えていくと「人間は滅びゆく種族だ」ということが
わかってくる。
人間として生きることは即、地球の破壊だ。
人間が生きれば生きるほど、地球の環境は破壊される。
そして人類の欲望を叶える力は文明の発達とともに雪だるま式に大きくなって、
地球は破壊しつくされて冬を迎えるだろう。
それを止めるために、いまから全人類は欲望を捨てて、
ミニマムに生きるなんて不可能だ。
すくなくとも私には無理だ。
車は必要だし、映画もみたいし本も読みたい。
私はかなり欲が少ない方だと思うけど、それでも
ブッダのサンガの人びとのように生きられない。
私も地球環境の破壊者だ。

でも、これも自然の流れだ。
無意識に「人類は永遠に命を繋いでいくんだろう」と思っていたけど、
何事にも永遠はない。
それが自然で、生滅を繰り返すのが、世界の真理だ。
いろいろな星で、こうやって滅んだ知的生命体がいただろう。
人類が宇宙で最初の知的生命体である証明はできないし、
宇宙で最後の知的生命体である確証はない。
そういう生滅を繰り返して宇宙は変化しているんだろう。

人生にとくに意味はない。
最終的には人類がまるまる失われるのだから。
でも、今ここに生きている自分にとっては意味がある。
失われるのだから、貴重だ。
子供も私も死ぬ。
だから、今生きて同じ時間を共有していることが貴重で輝いている。
失われ、将来的に意味がないからこそ、今を味わって大切に生きる。
今、この瞬間、生きているということがとても重要だ。
すべては無に帰してしまう未来。
だけど、それは今じゃない。
生きている間を大切に。

 

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「インターステラー」
滅びゆく地球から新天地をめざして探求の旅にでる人びとの話。


Category: ヨガ的かんがえ

- 2015年4月11日

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