意味のない労働をした

仕事に追われている。
ノルマが重くのしかかり、必死に働く。
効率的に!効率的に!と言い聞かせて叩く。

しかし、ふと「あれ、おかしいぞ」と思う。
これって意味あるのかな?

しかし、仕事はまってくれない。
疑問は押し潰される。
気がつくと、いろいろな物が散乱して
かたずけが大変になっている。
そんなときアラームが鳴る。
聞き覚えのある音で「あれ?」と思う。
携帯電話が光っている。
そこではじめて「夢か、、、、」と気づいた。

私は夢の中でリアルに働いていた。
布団のなかで夢うつつ。
「仕事、やりっ放しだけど大丈夫かな」と考え、
いやいや、あれは全部夢の中だからやりかけの仕事もすべき仕事も
存在しないぞ、と自分に言い聞かせる。

夢のなかで一所懸命働いていたけれど、
まったく意味がない。
夢はふわふわしていて、
蜃気楼のようなものだ。
いくら働いても、だれも楽にならず世の中は
変わらない。

よくある話だけど、目が覚めたあとの私が知覚する現実も
夢かもしれない。
荘子流にいえば、働いていた私が現実なのか、目が覚めたと
思って布団にいる私が現実なのか。

インドでは現実は幻影(マーヤー)で、人は幻影をみて
一生を終えるとされる。

夢の中で働きながら、うすうす「あっ、これ意味ないぞ」と思ったことを
覚えている。
でも、それはすぐに忙殺されて消えてしまった。

現実のマーヤー(幻影)から目覚めるためには、
刺激で忙殺されていない冷静な時間が必要だ。
人は人と協力して、共同で夢をみている。
目が覚めていても、国家や会社、さまざまな信念の夢をみている。
夢うつつで世界を壊し、戦争をして、地球には悲鳴が溢れている。

グーグルなどのイケイケ企業が、仕事のために
マインドフルネス瞑想を取り入れているけれど、
じつのところ瞑想をすると、究極的には「役立たず」になる。
それは人が共同で見ている夢から覚めて、その無意味さに気づく
からだ。
真剣におままごとゴッコに勤しむ人々の中で、
ふと「これはただのおままごとゴッコじゃない?」と気づいてしまった
人はおままごとを止めて、元の仲間から「役立たず」と呼ばれるけれど、
その人はおままごとゴッコの役に立つことに価値を見出さない。


Category: 瞑想

- 2016年5月31日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *