苦手な分野からしなやかな強さが生まれる

 

女性は腕力が弱い。
だから工夫して生きている。
硬い袋を開けるとき、男は力づくで開けようとするけれど
女性はハサミを使ってあける。
重い物を持つ時、女性は気軽に助けを呼ぶけれど、
男はなんとか一人で持とうとする。
腕力の弱さが、工夫や協力で補われている。
これは賢明な力だ。

こういう「しなやかな強さ」を見ていると、
男性的な、パワーアップして問題解決みたいな
やり方が単細胞に思える。

「しなやかな強さ」これはいい。
だれにでも苦手な分野がある。
でも生きていたら避けて通れない。
ここで間違いを犯しがちなのは、
この苦手な分野をパワーアップして乗り切ろうと
することだ。

たとえば、
体が弱いなら、弱いなりに体の使い方を改善する。
(武術的な発想だ)

生活力がなく収入が少ないなら、がむしゃらに収入を上げる前に
少ないお金の使い方を工夫する。

意志力が弱いのなら、意志力が弱くてもできる
やり方を工夫する。

覚えるのが苦手ならメモをとる。

病弱ならうがい手洗いやマスクをしっかりとする。

得意な分野はパワーアップの方法でいいと思う。
でも、苦手な分野はそれだとうまくいかない。
そもそも適性が欠けているから苦手なのであって、
それを鍛えても膨大な時間をかけて「普通」
もしくは「そこそこ」までしかいかない。
だったら、苦手分野を
苦手のままで生きていける方法をマスターして、
自分の得意分野を伸ばしたほうがいい。

たとえば私はタフガイじゃない。
繊細ガイだ。
いままでも発想だったら「いかにタフになるか」という
問いしか生まれないけれど、この考え方を応用すれば
「いかに繊細なままで生きていくか」という新しい角度からの
問いがうまれる。
自分の人生を振り返ると、青年期は空手や武術をして、
いかにタフになるかと考えていた。
しかし、あるときから無意識的に問いが変わり、
「しなやかな強さ」を模索しはじめた。
ヨガをはじめ、瞑想をはじめた。
繊細人間が繊細なまま生きているという方向性に転換した。

ちなみに弟はいまでもヨガや瞑想を初めてからの私の変わり具合に
驚いている。
昔の私はトゲがあり、つねにイライラしていたそうだ。
でも、いまではそれが無いから不思議だと言う。
思うに昔の私は自分の弱さを隠して、
なんとかパワーアップしてタフに生きようと
していた。
弱さをさとられまいとする虚勢がトゲトゲしい雰囲気になっていたんだろうと
いまでは思う。
でも、今は自分の繊細さと内向性を100%受け入れて、それを
磨きながら生きている。

人生は不思議だ。
自分の弱さ(繊細さ)がヨガと瞑想に結びついている。
私はまったく達人ではないけれど、
武術の達人は背が低かったり、細かったり、
格闘家として恵まれた体格をしていないという矛盾がある。
弱さが強さに変わる。
だけど、肉体的な弱さは弱いままで、違う強さによって補われる。
人生の不思議だ。


Category: ヨガ的かんがえ

- 2016年3月2日

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