一人であること

 

 

仕事が終わり温泉に入ってリラックスしている時に気づいたことがある。
私の頭の中に、終わったはずの仕事仲間がいて、その人達と脳内トークしている。
あれをこうしょう、これはこうしよう。
一人で湯船につかっているはずなのに、まるで数人でガヤガヤと
やってきたかのようだ。
まるでたくさんのゴーストに取り憑かれたようで、
こんな脳内では職場にいるのも温泉にいるのも同じだ。
それに気づいた私は、今ここにある感覚に意識をフォーカスした。
呼吸や、温泉の感覚、風景。
ときどき脳内会議が自動的に開かれるけて、呼びかけられるけど、
それには答えないで、今ここに意識をむける。

こんな経験は私だけではないんだろう。
心理学者のアドラーは人間の悩みは「人間関係の悩みしかない」と
断言している。

まったく無人の山中にいっても、人はその脳内にたくさんの
人のゴーストを連れている。
まったく「一人であること」は難しい。

生まれて意識をもってから、私の体はたびたび無人の世界にいたけれど、
心が一人であったことは一度もない。
ヨーガの目的であるカイヴァリアは独在と訳される。
すべての執着から自由であること。
なにものにも左右されない自立した独り。

誰かといるときは、その人達だけといる。
一人になったら、独りになる。
過去に生きず、未来にも生きない。
ただ今にある。
私の理想的な生き方だけど、
いまのところ程遠い。

だけど、独りでないことを自覚できたのなら、
改善することはできる。
まったく無意識で繰り返していることは、
治すことができないから。

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「孤独であるためのレッスン」
諸富祥彦

現代ではネガティブなものとされる孤独の意味づけを

帰るいい本です。

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

 


Category: ヨガ的かんがえ, 生活を変える方法

- 2015年9月6日

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