人生塞翁が馬

 

座右の銘はなんですか?と聞かれたら、
いまの私は「人生塞翁が馬」と答える。

ちなみに塞翁が馬とはこんなエピソード。

塞翁が飼っていた馬が逃げた。
まわりの人が「残念ですね」というと、
塞翁は「いや、これが福を導くかもしれん」と答えた。

それから数カ月後。
逃げた馬が、すばらしい名馬と一緒に塞翁の元に帰ってきた。
まわりの人は「良かったですね」というと、
塞翁は「いや、これが禍の元かもしれん」と答えた。

時がすぎ、塞翁の家には名馬があふれ、馬に囲まれて育った息子は
乗馬が好きになった。
しかし、息子は落馬して太ももの骨を折るという大怪我をしてしまう。
まわりの人は「残念ですね」というと、
塞翁は「いや、これが福を招くかもしれん」と答えた。

それから1年後、血で血を洗う戦争が起こった。
足に後遺症を残した息子は、そのお陰で兵役にとられずにすんだのであった。

というお話。

つまり出来事は、それが本当に幸福なのか不幸なのか、
時間が立たないとわからないということ。

昔、好きだった子に振られた時、
「人生終わった」と失恋の痛みで悲しい歌ばかり聞いていた
ことがある。
でも、今ふりかえると「あの時失恋してよかった」と思える。
ふられてなかったら奥さんと出会えなかった。
人生塞翁が馬。

仕事に行き詰まり、人生に行き詰まり、絶望して
生きる道を探していなかったらヨガに出会えなかった。
ヨガをしていなかったら、奥さんと出会えなかった。
奥さんと出会っていなかったら、子供と会えなかった。
つまり、人生でもっとも深い絶望の淵に落ちこんだときが、
今の人生のきっかけになっている。
人生塞翁が馬。

しかし、家族を持ったことが禍の元になるかもしれない。
そこも人生塞翁が馬だ。

人生の精算は死ぬ時にならないとわからない。
一体、何が本当に幸福をもたらすのかわからない。

一歩踏み込むならば、身に降りかかった不幸を
どう福に変えるのかは、その人に委ねられている。

不幸には幸福の種が隠れているし、
幸福には不幸の種が隠れている。
陰と陽だ。

漆黒の闇の中で希望の星を探し、
光の中では目を閉じろ。

 

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Category: ヨガ的かんがえ

- 2015年9月10日

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