忘れるくらいの技術

 

弓の達人が極まれば最後には弓の名前も使い方も
忘れてしまうという話がある。
これはなんのこっちゃ、という感じだけど、
実はこれの一端を私は経験している。

昔していた仕事で毎日触っている端末があった。
最初の頃は考えてボタンを押していたけど、
いつのまにか手が覚えてしまって、
無意識に操作して、意識は
「完了操作」
「終了操作」
「情報入力」
など、簡単な指示を脳内に思い浮かべるだけに
指が動くようになっている。
入力するマシンのようだ。
ピピピピピピと端末を入力する音は聞こえるけど、
自分がどのボタンを押しているのかは、
意識的に理解していない。

そういう無意識化した端末操作を、
人に教えることになった。
新人さんを前にして、

「えーっと、完了操作だけど、、、、
まずは、、、、、うーんと」
絶句する。わからないのだ。
どうやって端末を操作しているのかが
ぜんぜん記憶にない。

結局、
「よし、見ていて」
と心を無にして端末操作をしてみると、
自分がどういうボタンを押しているのかやっと
思い出せた。

最初の頃は考えて意識的に覚えてボタンを操作していた。
でも、慣れるに従って動きは無意識化されて、
だんだん意識せずに入力するレベルになる。
そうなると、毎日操作しているにもかかわらず
意識しないために「忘れる」ということが現れる。
やっているのに「忘れる」という珍妙なことがおこる。

たとえば、今やっているキーボードのブラインドタッチも
まったく無意識レベルになっているので、
逆に「次はどういうキーを打てばいいんだろう」と考えると
スピードが遅くなるし、間違える。
キーの場所はぜんぜん覚えていない。
だけど、意志通りに文字は画面に現れる。
こういうのはよく考えると不思議だよねぇ。

老子に「知る人は語らず、知らない人が語る」という言葉がある。

これは「知る人は、そのことと一体になってあたりまえになりすぎて、
もはや語るべき言葉も忘れ去られて、体得されている。
知らない人は、言葉の上だけでそれを知っていて、それと
分離しているから、自分の中でよく目につき語る」
と意訳することもできる。

どちらにしても意識してやっている段階は、
身についていないんだよね。


Category: 生活を変える方法

- 2015年11月21日

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