心の「あたりまえ」の異常さに気づく、マインドセットと無知の影響力

 

生きていて救いなのは、気づくことができることだ。
私はルーティを繰り返す機械ではなく、
自己プログラム(心)に介入し、変更する力をもつ人間だ。

心は変えることができる、しかし、それは
思うほど簡単じゃない。

「あたりまえ」だと思っていたことを
崩す必要があるからだ。

自分にとってあたりまえだから疑わないし、
あたりまえだから変えることがないという現実がある。
そんな自分といういつも片時も離れずにいる自我の
「あたりまえ」が崩れることは奇跡だ。
繰り返していても永遠に変わることがない悪循環からの
解放への道だ。

そのきっかけは人との出会いかもしれないし、本かもしれないし、
瞑想かもしれない。

今日は本を読んでいて、自分の「あたりまえ」が崩れた。
私は知らず知らずにうちにネガティブな評価を人にしがちな傾向がある。
そう気づいた。

これは大きな発見だ。

人間関係に関する本で、タイトルは恥ずかしくて書けないんだけど、
その本では「どんな悪人にもいいところはあるものです。
だから、その人のいいところをポジティブに評価してあげましょう」
書いてあった。
ふりかえって、自分が人にどんな評価をしているかというと、
ネガティブ6割ポジティブ4割くらいの比率で、ネガティブが優っていることに
気づいた。
その心の中でのネガティブな評価は、口に出さなくてもふとした表情や
しぐさで露見する。
そうなると友好な人間関係は築けませんよ、というしごくまっとうなことが
書いてあった。

こう書くと、あたりまえだと思うけれど、
あらためて自分をふりかえると、無意識のフィルターは
人を辛口に見ている。
それと矛盾するようだが、私はよく「やさしい」と言われる。
だけど、ネガティブ評価をしている人にやさしくしているという
のは、本当のやさしさも含まれているかもしれないけど少しの
軽視が混じっていないだろうか?
それは本当に怖いことで、偽善者の道だ。
「人をネガティブに評価する」
この背後で原動力となる煩悩の名を私は知らないけれど、
悪い心持ちであることは確かだ。

意識は焦点をあてたものを増幅する。
その人の悪いところを見ると、悪いことを助長するし、
良いところを見ると、良いところが助長する。
それは自分に対してもそうだ。

他者にネガティブな評価をする心は、
自分に対してもネガティブな評価をしている
傾向があるということだ。
自己評価も汚染されているんだろう。

どうしたら、これを変えることが出来るのか。
それは世界をみて、ポジティブに評価すること。
そう思いこむのではなくて、心の底から本当に
「この人のここはいい」と思えることを探して、
評価すること。
それを繰り返していけば、心の傾向は変わっていく。
同じように、自分のいいところを探して、
ちゃんと評価できるようになろう。
自分をネガティブに評価することは、
謙虚とは違う。

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Category: ヨガ的かんがえ

- 2016年1月11日

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