トラウマ先生のお陰

私は恐怖を、トラウマを抱えて生きている。
どんなものなのか、それは具体的に言えないけれど、
ブラック企業に勤めていたときに生まれたトラウマだ。
もう10年以上たっているけれど、いまだにこの恐怖は根絶しきれていない。
私を支配する黒い力で、いまでも時折顔を覗かせ私をフリーズさせる怨敵だ。
疲れた時や、体調が悪い時は抵抗する力を無くして、それに巻き込まれて、
なんでこんな事になるんだ、、と悔しい思いをする。
これが無かったら、人生はどれだけ自由なんだろうか、と夢想する事もある。
でも、ふと考えて、もしもこのトラウマみたいな憑き物が無かったら、
それが本当に恐ろしいことだと気づく。

もしもこのトラウマが無かったら、ヨガをしていなかった。
男性でしかもダイエットの問題に悩んでいなかった私は、
この精神的な問題と闘うためのツールとしてヨガを選択したからだ。

アシュタンガヨガという運動量の多いヨガで、体を鍛えることで
トラウマに深く囚われて固定されてしまった肉体のパターンを
変えることができた。

そのアシュタンガヨガをしていた時代に、奥さんになる人と
知り合うことができて、今では結婚して二人の子供がいる。
トラウマが家族との縁を作っていれた、とも言える。

アシュタンガヨガをしていても、深い精神的な変化が無いことで
悩みで、そこから京都でゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想を体験できる
瞑想センターで瞑想を学ぶことができた。
トラウマが仏教との縁を作ってくれた。
もしも、瞑想や仏教との出会いがなかったら、今の私はいない。
もしも、なんの悩みもなく平安な人生だったら、
私が道に出会うことはなかっただろう。
もやもやした不満を抱えたまま食べて寝て、
なんとなく流されるままに生きて死んでいただろう。
それが一番恐ろしい。

家族も、ヨガも瞑想も、人生で価値あるものは
すべてトラウマのお陰で出会えたものばかりだ。
トラウマが原因で私は幸福になった。
悪い出来事の結果が不幸だとは限らないところが
人生の不思議だ。

いまは瞑想の力で、トラウマの影響はとても小さくなった。
たぶん、ほとんどの人が私がトラウマを抱えていて、時折そのことで
悩んでいることに気づいていないだろう。
悩んでいる時間も、本当に短くなった。
もしかしたら、悩みなんて無い人間だと思われているかもしれない。

 

最後の最後、トラウマの尻尾のようなものが私の中に残っている。
瞑想で根絶できる、と確信している。

それはウ・ジョーティカ師の「自由への旅」にも
記載されているし、チベットの僧侶が拷問や投獄から
PTSDを発症せずにすみやかに回復することも、
やはり瞑想の力なのだと思う。

だから、トラウマの影を感じたら、私はそれを合図にして瞑想に入る。
禅寺でいえば坐禅をしていて、だらっとした時に警策をもって巡回してくれる
僧侶のようなものだ。
ますますトラウマに感謝だ。

私が抱えているトラウマは、もしかしたら私の選択なのかもと
思う時もある。
もしも、前世があるとして、私がいまと同じく瞑想者で、
来世でも瞑想を継続したいと思ったなら、
どんな人生を選択するだろうか。
やはり、人生に何かしらの苦しみが起きるような人生を選択するだろう。
死にはいたらないけれど、絶望するような何かをそっと忍ばせるだろう。
それが道を求める気持ちを起こさせる。
何もかも恵まれたぬるま湯のような人生で、一生ふわふわと
桃源郷に生きるような人生だと、ふわふわとなんの成長もなく
価値あるものにも出会えずに死んでしまうだろう。

人生を振り返ると、逆境こそに打ちのめされた時に手を伸ばして
掴んだ何かが、価値ある宝物だった。
苦しい試練の時は、大変だけれども一番成長できて、
学ぶことも多い。
そこをくぐり抜けたあなたは、破壊され再生して
純度が高く生まれ変わる。

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Category: 瞑想

- 2017年3月1日

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