専門家VSなんでも屋

専門家になる、ということは危険なことでもある。
「思いこみ」が強くなって、世の中が見えなくなる。

たとえば、格闘技を習うと試合に強くなり、逆に喧嘩が弱くなる。
パンチやキックを練習すると、戦うことは「パンチやキックをどう使うか」に集約される。
そのための練習なのだ。
そしてルールのある格闘技では、必然的に反則技がある。
頭突き、金的蹴り、目潰し、膝を前から蹴る、両手で顔を叩く、噛みつく、などなど。
危険すぎる技が反則になる。
それに、武器は使ってないけない、という暗黙のルール。
そうなると、自分で自分の選択肢を減らすことになる。

逆に喧嘩屋は、危険な反則技に磨きをかける。
そして、素手にこだわらず、いかにまわりに置いてある物を武器にするか考える。
物を投げて、意表をついて金的を蹴って、襟を掴み頭突きする。
もちろん格闘家は強い。
物がまったく無く、きちんとルールが決まったリングの上で、
グローブをはめてゴングと同時に試合が始まれば、喧嘩屋は10秒でKOされる。
でも、喧嘩となると選択肢が大幅に広がるためにあっという間に
勝敗はわからなくなる。

専門家とは、自らの可能性を狭めて強化している人たちなのだ。
その強さは前提条件が変われば、脆さに変わる。
昔の支配階級だった武士は時代が変わると凋落した。
商売のやり方を知らなかったからだ。
殿様商売で、顰蹙をかってみるみるうちに貧しくなった。
強さを支えていた武士の誇りが、弱さに変わる。

ハンマーを握った人は、問題をなんでもハンマーで叩こうとする。

ある聖者の弟子が経済的に困窮して、師に助けを求めたが、
師は「お金儲けのことはわからないよ、ごめんね」と言った。
弟子は聖なる教え(ハンマー)で経済問題を解決しようと相談したが、
師はそれは聖なる教え(ハンマー)で解決できる問題ではないことを知っていた。

しかし、タチの悪い専門家は自信満々で、
「これさえあれば全部解決です」とハンマーを渡す。
食事療法で、ヨガで瞑想で、腕力で、ビジネスで、権力で、モテる技術で、
薬で、宗教で、人生すべて解消だと太鼓判を押す極端な人たちなのだ。
あまり信じすぎてはいけない。

専門家はつねになにかに囚われていて、
その色メガネを通してしか世界をみることができない。
ビジネスマンは、なんでもお金を基準に決める。
ヨガの専門家は、なんでもヨガの問題にする。
食事療法家は、なんでも食事の問題にしたがる。

自分の専門外の問題でも、なんでも自分の専門を使ってやろうとする。
専門家は薬みたいなものだ。
少量なら大丈夫だけど、飲み過ぎると副作用でひどい目にあう。

人生は何事も決まりきった理路整然とした試合的なものではない。
複雑でなにがおこるかわからないものだ。
ルールの決まった格闘技ではなく、喧嘩に似た複雑でわけがわからない世界
なのだ。
ルールがあるように見えても、ルールは世界を抑える重みをもたない。
実際、オリンピックの競技でも、ルールはころころと変わる。
有力な国が、有利なように改定する。

人生のルールも変わる。
昔は、大企業に勤めれば終身雇用制で、もう一生安泰だった。
サラリーマンという企業戦士として「その会社の専門家」として生きても
なんの心配もなかった。
その会社の企業文化に染まり、ルールに従い生きても問題なかった。

どうすればいいんだろうか。
仕事ってなんだろうか?
突き詰めると、仕事とは「スキル」だ。

たとえば会社に勤めると、最初は見習いでまったくなんのスキルもない。
長年勤めると、少しづつスキルはあがる。
でも、ある程度いくとレベルアップは頭打ちになる。
もしも無限にスキルアップしていくなら、中高年のリストラ問題は
ないはずだ。
5年目の人よりも10年目、10年よりも20年務めた人の
能力が高いことはあまりない。
年功序列は、いかに長く勤めたかの順番で、
能力の順番ではない。
一般的に歳をとればとるほど払う賃金と仕事力が釣り合わなくなっていく。
社会が若く、高度経済成長期で、どんどん会社が拡張していた時代なら年長者を支える
若手がどんどん入ってきて、維持できたことも今では無理だ。

1つの仕事に対する頭打ちは、意外と早くくるんじゃないかと思う。
でも、その人の能力の上限がきた訳ではない。
もうなんにも成長しない訳ではない。

そうなると、他のスキルを学ぶことで成長は継続する。
1つ、コアになるスキルは頭打ちの状態でも、継続して続ける。
私の場合は「瞑想」だ。
そして、会社に勤めている人なら、仕事に関連する他のことを学ぶ。
あなたが必要だと思うものだ。
私の場合は、「農業」「料理」「会計」「健康」などなど。
プロの農家や料理人、会計士ほどのスキルを身につけるのは、
至難の業だけど、最低限のレベルのスキルならばそれほど大変じゃない。
医者になるのは大変だけど、病気にならないように
予防するための知識は簡単、運動と食事だ。

会社に勤めている人なら、出来ることをだんだんと増やしていく。
私の場合は自給自足の菜園ができて、いろいろな料理が自炊できて、
自分の健康や家計を管理できるスキル、つまり生活力を高める。
専門家の手を借りなくても生きていける側面が増える。
専門家にお願いするとお金がかかる。
逆にいえば、自分でできればできるほどお金がかからない生活になる。
人にサービスを提供するときは専門家レベルの力がいるけれど、
自分で自分のためにやる分には、専門家じゃなくてもいい。

1つのことしかしない、というのは危険だと思う。
それが無くなると、いきなり丸裸になってしまう。
そういうのはリスクが高いと思うのです。

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Category: 生活を変える方法

- 2015年3月16日

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