自由に至る険しい道

 

 

 

 

森博嗣さんのエッセイ「自由をつくる自在に生きる」に
たしか、自由を作り出すのは能力で、
能力があればあるだけ自由に生きられるという旨が書いて
あった気がする。うろ覚えだけど、、、、

森博嗣さんは自由な存在と思われがちな子供が、
じつは一番不自由な存在で、能力が未発達のために
親に依存しなければ生きていけないことを指摘している。
自分で生きる能力がつけばつくほど、親から自立していく。

人生で自由になるには、能力をつけるに限る。
これは1つの結論だ。
ほかにも本多静六さんが、
「人生即努力、努力即幸福」
「職業を道楽化するには努力しかない」
という言葉を残している。

努力すれば能力がつき、それが幸福(自由)をもたらす。
職業が道楽(遊び)になるには、努力して能力を伸ばすしかない。

ついつい辛いことから逃げてしまいがちだけど、
険しい道を歩くと脚力(能力)がついて、
道の険しさが和らいでくるというロジックだ。

もう一つの道は「手放す道」だ。
すべての物は変化していく。
心も体も世界も、安定しない。
すべてが生滅していく。
夢の中と現実と、長い時間から見れば何も変わらない。
日本を制覇した豊臣秀吉は死の床で、
「天下をとったが人生は実体のない夢みたいなものだった」という
切ない句を残している。

私たちは何かになったり所有したりできると
考えているけれど、
実際にすべてのベールが剥がれるときに、
まったく何も所有できないし、安定しないことが
本当に理解できるんだろう。
偉そうなことを書いている私も、
それを心から実感していないので。
何かを得たり得なかったりで一喜一憂している。
でも、どこか頭の片隅にこの事実が置いてある。
ヨーガでは「実践」と「離欲」の2つの道が
心を止滅の状態に導くとされている。
これはさっきの「能力」と「手放す」と言い換えることも
できるだろう。
仏教でいえば「集中力(サマタ)」と「観察(ヴィパッサナー)」と
言い換えることもできる。
能力は集中力だ。
手放すということは、純粋に観察している状態だ。

 

 

 

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- 2015年11月27日

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