いきなり瞑想したら危険?

 

 

ヨガの先生の中には「いきなり瞑想をするのは危険」という人がいる。
よくよく見てみると、そう主張している先生方のしている瞑想は、
「イメージを多用する密教系」の瞑想だったりする。
イメージで体内のエネルギーを動かすと、体の準備ができていなかったら、
ひどい副作用に悩まされるかもしれない。
なので、それなりの準備がいるのかもしれない。
しれないしれない、と書くのは自分がやっている瞑想とは
ジャンルが違うからだ。

一方、私が実践しているのは
ただ単純に呼吸に意識を向けるだけの「呼吸瞑想」

体の感覚に意識を向けるだけの「感覚瞑想」
よくいう「マインドフルネス」を養う仏教系の瞑想法だ。
現実に気づき、妄想を減らしていく。
こういう瞑想は副作用が少ないので、
入念な準備は必要がない。
こういう種類の瞑想をしている人で「いきなりの瞑想は危ない」と
言っている人を私は知らない。

この2つの瞑想は、
「イメージで自分の内面世界を作り上げていく」
「内面世界を作り上げない」

まるっきり方向性が逆だから、話が食い違うのも無理はない。
だから、必須でないことを必須だと思って、時間を使う必要はない。

人が自由に使える時間は限られている。
一日3時間ほどヨガや瞑想ができる人は稀なんじゃなかろうか。

そうなってくると、瞑想をする前に
入念なプラーナーヤーマが必要とか、
そのプラーナーヤーマの前にアーサナで体を鍛えないと
いけないハードルに、瞑想まで辿り着かずに
一生が終わる人が多いのではないだろうか。

私の瞑想のベースとなっている
ゴエンカ式(仏教系)のヴィパッサナー瞑想では、

瞑想の準備のために五戒(注1)を守ることが準備としてある。
しかし、アーサナやプラーナーヤーマはまったく語られていない。
そもそも「マインドフルネスの達人」であるブッダが、

プラーナーヤーマやアーサナの準備のことは語っていない。

ブッダは経典で、森の中の葉ほどの数の教えがあるけれど、

私は本当に役立つことしか語っていない、という意味の言葉を残している。
もちろん、ブッダもアーサナ(座法)やプラーナーヤーマの
ことは知っていただろう。

だけど、まったく語られていない。
あくまでも、メインの教えではないのだ。
もしそれがどうしても瞑想に必要だったら、必ず語られている。
じつはアーサナとプラーナーヤーマがないと機能しない不完全な教えだとしたら、
効果が無く今まで実践者は続いていないし、

私も効果を感じないだろうから、こうやって文章を書いていないだろう。

 

私なりの結論。
瞑想が主で、ヨガはそれを支える補助だ。
とても簡単なアーサナとプラーナーヤーマでも心を落ち着けるのに役立つ。
なんのためにアーサナやプラーナーヤーマをするか、というと瞑想を深めるためだ。
運動にたとえると準備運動だ。

サッカーを練習するとする。
1時間の練習時間があるとして、
あなたは50分ほど準備運動に費やしていないだろうか?

「いや、準備運動しないとサッカーは危険なんですよ。
それに準備運動も運動が含まれているんでこれで充分なんです」
そういう人はサッカーが上達しないだろう。

進化なのか退化なのか、その準備運動も時代を経るにしたがって、
だんだん複雑になって武術や曲芸やボディビルの動作も含まれ、
それをこなす時間も伸びて、
結局、ほとんどの人が準備運動で「サッカーの練習」を終える。
というのが今のヨガの現状なんだろうと思う。

こういう人もいるだろう。
「アーサナやプラーナーヤーマの実践にも、瞑想のエッセンスは含まれている。
だから、アーサナ、プラーナーヤーマをするだけで瞑想の実践にも
なっている」と。

それを言うなら、
「瞑想の実践にはアーサナ(座り方)とプラーナーヤーマ(エネルギーの制御)
が含まれている」
と返すことができる。

座ってする瞑想の時間では、アーサナ(座法)が鍛えられる。
始めた頃は15分もすると苦痛で座っていられなかった人も
続けていく内に30分、1時間と静止して座れる時間が伸びていく。
体がアーサナの状態になり静止すると、自然とプラーナーヤーマの扉が開かれる。
私がメインで実践している「呼吸の瞑想」は、呼吸に意識を向けるけど
コントロールしない。
けれど、だんだんと呼吸は微細になり、全身のエネルギー(感覚)と繋がっていく。
その状態がアーサナ(座法)の持続時間を伸ばす。
この2つは相互作用で成長していく。
そして要となる「意識を何に向けているか気づく」
というマインドフルネスも成長していく。

ただ座る(アーサナ)にはいるための準備運動が、もし必要なら、
だれにでも出来る簡単な背骨の運動やポーズで充分。
呼吸が荒くて、体が沈静化しないのなら深呼吸とすこしの止息という
簡単なプラーナーヤーマで充分。
時間があまり無いのなら、準備運動にかまけていてはいけない。
注1五戒
生き物を殺さない
与えられていないものを取らない
淫らな行為をしない
いつわりをかたらない
放逸の原因となり、(人を)酔わせる酒類、麻薬などを使用しない

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Category: 未分類, 瞑想

- 2015年5月25日

Comments

  1. 今日もヨガ教室でお世話になりました。

    この文章「いきなり瞑想したら危険?」は、
    以前にも拝読したような気がしますが、
    注意深く、あらためて読んでみますと
    今日、先生に質問させて頂いた事項についての
    すべての答えが網羅されていました。

     個人の願望や理想をイメージする瞑想や立禅には、
    危険性が伴う恐れがありますが、
    「呼吸瞑想」や「感覚瞑想」には、危険性がない、
    と自分なりに解釈しました。

     それにしても、五戒は厳しいですね。
    特に、飲酒はやめられそうにありません。

                    ムー

    追伸:
    今日、受講料をお支払いするのを忘れてしまいました。
    たいへん失礼しました。
    次回、まとめてお支払いさせて頂きます。

    • ムーさんこんにちわ。
      五戒ですが全部完璧に守ることができる人はいないと思います。
      でも、瞑想をしていくにつれて五戒を守れる比率が上がってきます。
      飲酒も「いきなり一滴も飲まない」というのは抵抗が大きいと思うので、
      いつもよりすこし飲む量を減らす、くらいから始めると
      すんなり実践できるかもしれません。

      あと受講料は本を頂いたので大丈夫です。
      ありがとうございました。

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