一貫性がなくてもいいのだ

 

 

私は奥さんから見ると一貫性がないように見えるらしい。
やることなすことコロコロ変わる。
そうかな?
自分的にはとても一貫性がある生き方をしていると思っている。
なんだかクイズみたいになってしまった。
本当のところどうなんだろう。

私のサイドから見れば、
「瞑想」「運動」は一貫して続けている。
だけど、その実践の方法がコロコロかわる。
その時々でいいと思ったことをしている、という
ところも一貫している。
根本的なところは不動で一貫している。

奥さんからしたら、
あるときは立禅に夢中になり、あるときは四股を、
あるときはランニング、呼吸法などなどやることが
コロコロと変わる。
朝ごはんを食べたり、食べなかったり、
小麦食べないと決めたり、バクバク食べたり。
一貫性がない。

私のサイドからみると、一貫して
人生を実験しているのだ。
いろいろ試してどんな風な変化が起こるのか、
試行錯誤していると言いたい。

言い訳みたいなことを書くのをやめて、
本音をいえば一貫性なんて無くても構わない。

人はそもそも一貫していない。
学ぶ人は、一日一日、どんどん別人になっていく。
「不変で絶対に変わらない私」というものが
存在しないから、一貫性なんてものは期待できない。
もしも一貫性があるように見えるのなら、
あんまりいいことではないかもしれない。

もしも間違えたまま一貫性があったとしたら、
一貫して間違えたまま生きることになる。
だから一貫性じたいにはいいもわるいもない。

よく変化し続ける。
一貫性よりも優れたこと。

 

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Category: 生活を変える方法, 道具

- 2015年12月10日

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