愛犬リクの死、ペットロス

注:2014年の6月14日に、旧ブログに書いた記事を
保存するために再録。

3日前に14年間、共にしたリクが亡くなりました。
ラブラドールで14歳。
人間にすると90歳くらいの老犬でしたが、その日の朝は散歩でも
足をひきづりながらですがちゃんと歩いていた。
まさか今日がリクが死ぬ日だとは思いもしない私は、
この日の散歩をあまり覚えていない。
後悔している。

お昼に実家にリクの散歩にいってみると、
突然、もう起き上がれなくなっていて、
自分で寝返りさえうてないようになっていた。

呼吸は荒く、体を触ると私よりも冷たい。
りくはもしかしたら死ぬのか、、、と
朧げながらに思った。

リクは完全に倒れ込んでいて、一人で持ち上げることが
できないので母が帰ってくるまでリクと一緒に
横たわって待つ。

ふと、リクの顔が変わった。
最近は本当に年寄りくさい顔しかしなかったのが、
子犬みたいな顔になった。
表情が変わった。
もしかしたら、これが犬が苦しがる表情なのかも
しれないけど、私には不思議なくらい静かで澄んだ顔だった。

母が急いで帰ってきて、
病院に行ってからはあっという間だった。
先生はいろいろと処置をしてくれたけど、
あっという間に命の火は消えた。

こんなに早く死ぬのか、、、、、

まさか今日死ぬとは思わなかった私達親子は
放心状態。
涙が自然に流れてくる。
どうして悲しいと涙が流れるんだろう、と
考えながら、泣きたいだけ泣いた。
無理に悲しみをこらえてもいいことない。

家に帰ると、とりあえず仏間にりくを置いた。
間の悪いことに停電していて、しばらロウソクの火で
過ごした。

大きな箱を買ってきて棺桶替わりにして、
遺体が腐ってしまわないように氷で冷やし、
そして花をかざった。

りくの死に顔は穏やかだった。

この日はまだ、私はりくの死という
現実が受け入れられなかった。

何か自分の一部が突然、消え去ってしまったような
気がした。
失ってみて、その大きさに驚いた。
体は悲しみに満ちて、すこしりくの思い出を考えるだけで
涙が出てくる。

りくが愛しい、だから悲しいのは当然だ。
かれはわたしの子であり、親友だった。
あえて悲しみに浸るつもりはなかったけど、
悲しい気持ちは抑えずに涙が出てくるに任せた。

いろいろなものの価値が急激に色あせる。
リクが死んでしまった。
かれは一体、どこにいるんだ。
この冷たい死体はリクの乗り物だった。
あの個性を作っていた魂はどこにいった?
あの世はどこにあるのだろうか。
まったくリクは消えてしまったんだろうか。

考えてもわからない問いの渦に巻き込まれる。
「死」は思考の及ばない領域だ。
生きているうちはわからない。
ぐっすり眠った最中の記憶が無いのに
似ている。
そして、生と死は平等に存在する。
「起きている(生)」のと「寝ている(死)」こと。

死んでいるのと生きていること、どちらが
いいのかわかりはしない。

眠っている間、肉体はここにある。
死んで肉体がなくなったら、リクはどこにいるんだろう。

リクがどこにいったのかわからない、という
不思議な気分でその日は過ごした。
そして時折、後悔が襲ってくる。

リクは幸せな犬だったと思う。
でも、死んでみると
「なぜもってもっと可愛がってあげなかったんだろう」
後悔の念に苦しんだ。

いろいろ忙しかった、という理由はあった。
でも、目の前にいる命に優しくすること以上に
すべきことなんかこの世には存在しない。

昔のアルバムを眺めてリクとの思い出に浸る。

孤独で、犬以外にあんまり友達もいない私は
リクとよくお出かけをしていた。
車の助手席に一番座ったのはリクだ。

海にいったり、川にいったり、
いろいろ遊びにいった。

9歳くらいまではまるまる太って筋肉モリモリの
散歩マシーンだったけど、だんだん老化していった。

13歳頃には、骨がみえるくらいに痩せてきた。
表情も乏しくなって、まさに老犬だった。

冬はこたつで寝るのが好きだった。
老犬になると寝る時間が一気に増えた。

お漏らしをするようになったから家にいるときはオムツをつけ始めた。

思えばこうやって体がだんだん弱るのは死の準備なのだ。
耳が遠くなり、頭も衰えてきて、生命力の火が弱くなっていく。
以前から、リクはきっとロウソクが燃え尽きて、
ふっと消えるように死ぬだろう、と思っていた。

よく長生きしたね、リク、がんばったね。

3日たって、いまでも時々涙がでてしまうけど、
兄ちゃんはすこしづつ大丈夫になってきています。

また会いましょう。
私が死んで、もし死後の世界とかがあったりしたら、
三途の川まで迎えにきてください。
リクが先にいって待っていてくれるんだったら、
私は死んでも安心だと思ってます。
また一緒に散歩してください。

追記

「死」の続きはあるのか?ないのか?
愛犬の死という不思議。
彼はどこにいったのか、それとも
消滅したのか。
私がいま一番知りたいことはこれだ。
本を読んだり、
臨死体験のことを
ネットサーフィンしていたら、
東大病院の救急医療を担当し、
多くの人の死をみてきた矢作直樹先生の
インタビュー記事がヒットした。

あっ!これか!と驚いた現象が
書かれてありました。

<「お迎え現象」の一つに、患者の顔の変化があります。
死の数日前になると多くの末期患者の顔が、
なぜかほころぶことがあります。
2~3日前から亡くなる直前の間、患者は周囲のことにすっかり無関心になり、
いよいよ最期の時を迎える瞬間、まるで別の世界にいるような感じで、
顔がほころぶのです。
よく観察すると、その表情は「えっ」と何かに
軽く驚いているようにも見受けられます。
残念ながら患者の全員が亡くなってしまうので、
彼らがなぜ顔をほころばせ、何に対して驚いたのかは確認できません。
でも、私にはあの世から来た「お迎え」に患者たちが
反応しているように思えてならないのです。>

老犬だった死ぬゆくリクの顔が突然、子犬のように澄んだ顔に
なった理由、これかもしれません。

リクにもちゃんとお迎えがきていたのだと思います。
彼にも魂があって、肉体を脱ぎ捨てて、
別の次元にいったのだと思っています。

人間は臨死体験で「あの世」の存在を語る。
犬にも「あの世」がないはずがない。

生きている間は確認することはできないけど、
これを信じて私は生きていこう。
彼の魂も私の魂も修行中なんだろう。

 


Category: 個人的記録

- 2016年1月21日

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