いつまでも若いことに価値はない

今年42歳になる。
立派な中年なのだ。
私が30代前半の時に50代の人が
「この歳になると、たくさんお金をつぎ込まないと若さが維持できない」と
いう話をしていた。
その時は「自然な老化に任せればいいのに」と思ったけれど、
いざ自分に老化が迫ってくると、
「自然に逆行していつまでも若くいたい!」と
切実に思ってしまう自分がいる。

男だけど、顔にシミがあるのが気になる。
頭が禿げてきていないかチェックする。
シワが増えていないか気にする。

若くありたい、若くありたい、と
思っている心は焦燥感と敗北感で一杯だ。
でも、自然に逆らうことは無理な話で、
最後は老いに打ち負かされて、
爺さんになって死ぬか、それ以前に病になって
死ぬかする。
最初から負け戦。
私はそんな馬鹿げた戦いに心を痛めている。

でも、そもそも
若いことに価値はあるのか?
もちろん、生殖に関しては若ければ若いほどいい。
でも、生殖活動から一歩足を引いた、
おじさんおばさんが若いことに価値なんて
あるのだろうか?

どこを見回しても「若いことは素晴らしい!」という
情報の洪水で、老いることは片隅に追いやられている。

しかし、若いことに関しては18歳の頃の私には、
どう逆立ちしても、42歳の私は勝てない。
見た目の若さもなにより、
生殖活動をするならば、18歳の精子のほうが42歳の
劣化した精子よりもいいだろう。

福山雅治は40代後半だけど、とても若々しい。
けれど、20代の本当に若くて健康な人の中に入ると
どうしても中年感は隠せない。

芸能人でトップクラスに若い人の
中年の若々しいでも、本当のただの若い人には勝てない。

「若くいること」という価値観を持って生きることは、
年々、老いていく自分を見せつけらる痛みと
自然に逆らう努力の苦痛と、
本当に若い人たちを見るときに
生まれる劣等感に苛まれる生き方なのだ。

では、どんな価値観で生きればいいのだろうか?
「若い」ということは年々、価値が低下していく。
ならば歳と共に年々、増加していくものに価値を置いて生きるならば、
どんどん豊かになっていくのだ。

価値が増えていくもの。
それは「精神性」だ。
たとえば慈しみの心は、年々、歳とともに低下していかない。
私は慈しみの泉のような老婆を知っている。
その人の人間性は、健康的な老化では損なわれない。
慈しみの心は年齢にほぼ左右されない。

フォーカスすべきは、いったい自分がどんな人間性を
持っているか?だ。
若さにフォーカスをあてて生きるならば、
年々、自分には価値がなくなっていくだろう。
それは焦燥感と敗北感と、最後に本当の敗北につながる
暗い谷に向って降りていくような生き方だ。

でも、人間性には無限の改善の余地があり、
価値が無限に増していく。
一歩一歩、高みにむかって山を歩いて行く生き方で、
風景はどんどん開けてくるだろう。

18歳の頃の私に比べて、
42歳の今の私は価値がある。
18歳の頃はは無茶苦茶だったけれど、
今はその頃に比べると、
少しは賢くなって、少しは優しくなった。
考えは深くなり、さまざまな知識がある。
そう考えると、年齢を重ねることは
経験と努力が積み重なる恩恵になる。

 


Category: エッセンシャルヨガ

- 2018年4月30日

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