長生きする働き

膨大な老後があると想像できる現代。
長生きのリスクに備えて未来の自分の分まで
働かないといけない。
人生のほとんどが老後のために費やされる。
会社員には退職金が用意されている。
理不尽なこともサービス残業も、それで帳消しに
なるから頑張れる。

「宵越しの銭は持たない」なんて言葉は、
自分の命が明日ともしれない時代だから出る。
でもしかし、命の短さを痛烈に感じる時代に生きている人たちは、
今に集中して、輝くように生きているんだろう。
「来年のことを話すと鬼が笑うぜ」と鼻で笑っていた人たちは
もういない。
いまでは10年、20年先の未来のことを深刻に
話してもだれも笑わない。

明日、死にたい訳じゃない。
でも考える。
膨大な老後のために今のほとんどを犠牲にする
人生って何?
それは「生きている」という状態なのか?

あなたは老人を背負って歩いている。
その老人をみるとそれは「未来のあなた」だ。
家族制度は崩壊して、子供にも世話をしてもらえない。
老後に頼れるのは「金」。
その金も年金制度も減額されたり支給年齢が延長されたりで、
未来は暗い。
子供も「未来の自分」という老人を担いでもがいているのだ。
頼れない。

どうしたらいいのか?
働かずぶらぶらする老後を断念すること。
生きている限りは働き続ける。
これ、どうだろう。

老人になっても働く。
そうなると、今のようなハイペースでの仕事では無理だ。
もっとゆるい仕事ぶりがOKな社会が求められる。

昔の日本を訪れた外国人は、
日本人が労働の合間に歌をうたったり長い時間休憩したりして、
あまりにも非生産的なスタイルで働いているのを見て驚いている。
職人には定年退職なんてなかっただろうから、
幅広い年齢の人間が楽しく働くには、そうゆう「ゆるさ」みたいのが
必要だったのかもしれない。
ちなみに江戸時代の城づとめの侍たちはお昼ごはんを食べて、
2時頃には家路についていたそうだ。
激ゆるである。
新しい視点でみれば、そうゆうゆるい働き方が許されるなら、
老人でも働けるだろう、ということだ。

まったく働かない大勢の老人よりも、
ゆるくマイペースに働く老人たちがいたほうが、
社会はもっと楽で穏やかだろう。
キビキビとした社会は若者の基準の社会だ。
そういうのはもう終わりにしたらどうかと思う。

のんびり働く老人をみたら、
「老人の自分」を担いだ若者の肩の荷は降りるだろう。
歳をとったらとったなりに働けばいいのだったら、
未来の分まで先取りして無理して働かなくでもいい。
歳をとったら若い時のようにバリバリ働けないから、
その分の収入の不足分を貯めとかないといけないけど、
「まったく収入のない老後」じゃないから、貯蓄も
1億とか目の飛び出る金額じゃなくてすむ。
若者は今を生きよう。
現代は会社に務める人が大半で6o歳定年だから、
老人が働く姿を見ることはない。
人間、動いている方が調子がいい。
働かず、動かずに家にいたら認知症にだってかかりやすいだろう。
老人も今を生きよう。
年金が必要になるのは、最後の最後に
倒れてしまって死を待つ時期だけでいい。

ちなみにこの生き方に似たことを、私の母方の祖父母が実践している。
じいちゃんは今年90歳になるけれど、去年までブドウを作って売っていた。
ビニールハウスの上にのぼってハウスまでかけるスーパーじいちゃんだ。
ばあちゃんは野菜づくりで、自給自足。
二人とも頭も足腰もしっかりしている。
母が驚くほど食欲もある。
組織に縛られない農業だから自分のペースで出来るという現実もある
だろうけど「ちょっと働く」ことは生きがいになる。
人は与えられた娯楽にはすみやかに飽々するけど、
自分で作り出す工夫から生まれる幸せは充実感がある。
アラン先生の教えだ。

だから、ながーく働けるもの。
もしくは歳をとってから出来る仕事の発見が大切。

ちなみにじいちゃんは、60歳くらいまで大工をしていて、
それからブドウづくりに切り替えた。
60歳からはじめても、80歳になる頃には
「ぶどうづくりの名人」と言われるまでになった。
凄い人だ。

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じいちゃんのぶどう園でくつろぐ亡き愛犬リク。

 

長い間できる仕事というのは伊藤さんのいうナリワイという
概念に近い。

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Category: 生活を変える方法

- 2015年3月1日

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