そんなに運動しなくていいですよ

母方の祖父母は二人とも90代で、
寝たきりではなく自活している。
耳は遠いけど頭はしっかりしている。
理想的な歳のとり方だ。

二人の生活を考えると、
何か特別な運動をしているわけでもないし、
食事療法をしているわけでもない。

祖父は葡萄をつくり、祖母は野菜をつくるという
自給的な農作業を日常的にしている。
すこし遠い畑までは歩いて通う。
鍬をふり、雑草を抜き、水を運び、などで
日常的に体を動かしている。

特別に運動の時間をとっておらず、
ランニングもウェイトトレーニングもしていない。
いわば農作業と歩くことが自然と運動になっている。

運動!というと、私達は誰から習うだろうか?
アスリートからだ。
書店にいくとサッカー選手が体幹トレーニングの本や
プロを指導しているランニングコーチの本が並んでいる。
競技者が教えることは、その競技に必要なことであって、
体を健康的に維持するのに「どうしても必要なこと」ではない。
健康に生きるためには「外国人に当たり負けしない強い体幹は
必要ない」し、「マラソンで4時間を切るタイム」も必要ない。
健康維持だけを考えると、それらは無用の長物だ。
遊びのジャンルにはいる。

家に猫がいるけれど、一日の大半を寝てすごしている。
ときおり外を出歩く。
でも、ノルマをきめて全力ダッシュしたりランニングしたり、
筋トレのために屋根をのぼりおりしている猫の様子をみたことがない。
日にあたってボーッとしている。
猫はそれでも健康を維持している。
どうして人間だけが健康を維持するために汗水たらしてトレーニングしないと
いけないのか?
何故、腹筋を6つに割らないといけないのか?

それは「運動」を指導している権威が競技者たちだからだ。
素晴らしい健康体のモデルがアスリートだらだ。

90代まで自活している祖父母は腹筋を6つに割ったこともなければ、
フルマラソンに挑戦したこともないし、ジムに通ったこともない。
体を酷使するアスリートが短命であるという調査もある。
なにごとも過ぎることは良くないのだ。

日常的に体を動かす人は特別な運動なんて必要ない。
スポーツ産業は
「人間には特別な運動が必要です、みんなアスリートのようになりましょう」
と吹聴するけれど、競技者でもなければ専門的な運動は必要ない。
自然は無駄なカロリーを消費しないと健康を維持できない
ように人体を作っていない。
猫も人間もだ。

問題があるとすれば、座りっぱなしの生活をしている人たちだ。
理想論をいうと、
座りっぱなしならば1時間に一回は気分転換のために休憩して10分歩く。
もしくはゆっくりスクワットや四股を息があがらず気分がさっぱりする程度する。
ビルで働いているのなら、エレベーターは使わずに階段で移動。
通える範囲ならば自転車で通勤。
どうしても日常的に体を動かせないのなら、家で腕立てなどの
自重トレーニングをしたり、近所を早足でウォーキングや
ゆったりとランニングしたりすることで健康は維持できる。

普段は箸よりも重いものを持たない生活をしていても、
家で出来るような腕立て、腹筋、背筋、スクワットみたいな基本的な
自重トレーニングをすることで生活に必要な筋力は維持できる。

これは運動が嫌いなのに世間の吹聴にながされて、
「運動しないと!」と強迫観念的に思っている人のために書いた。
健康のためには恐ろしい量の運動は必要ない。
それはスポーツを趣味にして楽しむ人のためのものだ。
あたりまえなんだけど、こんなことを書いたからといって
人生を楽しむために遊びとしてスポーツしている人を否定しているわけでない。
でも、運動が趣味でない人は、ほどよく体を動かすだけで健康は維持できると
いうことは覚えておいたほうがいい。

ちなみに私がいましている運動は、
「立ち仕事で働くこと」
「近所のスーパーまでは歩いて行く」
「日々のヨガで筋肉の硬化を防ぎ、背骨が柔軟に動くようにしておく」
「日々のプラーナヤーマで、呼吸筋も鍛える」
「休みの日は軽く走る」
「2日に一回は腕立てと腰割り、四股をする」
くらいになっている。

ちなみにこれでも仕事をふくめて、毎日軽い運動ができていることに
なる。
私の場合、これで充分だ。


Category: エッセンシャルヨガ, 生活を変える方法

- 2016年3月8日

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