正しいフォーカスと二度寝

 

早朝、起きようと思うと2度寝してしまう。
まあ、冬だから睡眠時間が長くなるんじゃと言い訳してみるけれど、
仕事でどうしても起きなければいけない時はどんなに眠くても起きれるし、
もし山で眠っていてテントの外で
熊らしき大型動物の唸り声が聞こえたら、どんなに眠くても起きるだろう。
要は起きれるときと無理なときがあるということだ。

つまり、目が覚めて二度寝する時には「起きれる」という
実現しなかった未来が埋蔵している。
その目覚めが、死に至る危機がもたらしたものならば、
二度寝など存在しないから。

二度寝しないようにするにはどうすればいいのか、という
ことを考えながら、負けて何度も二度寝してきた。

しかし、ある日、ちょっとの違いに気づいた。

目覚めたときの「眠い、布団が心地いい」という感情を
変えることはできない。
でも、意識のフォーカスを変えて、体のコントロールに向けると
布団から苦痛を感じながらも起きることができる。

感情的に「もっと眠いよう」と頭が占拠されているとき、
そこに意識を向けると「よし、目覚ましを15分後にセットして二度寝ッ」と
思考の二度寝沼にはまりこんでしまう。

けれど「もっと眠いよう」という声に意識をフォーカスせずに
体を動かすことに意識をむけて、布団の中から起き上がることで、
起きることができる。
苦痛を感じながら。
楽に起きられるなんてことは無い。
とても苦痛だけれど、起きることができる。

思えばこれは仕事の日と休日のモードの違いに似ている。

仕事の日はやらなければいけない行動に意識を向けざるえない。
人に会えば挨拶するし、決められた仕事をすることで、
行動レベルが上って、気が引き締まり怠惰に支配されることが少ない。

でも、休日はこれといってやらないといけないことが無い場合は
無意識に感情に意識のフォーカスが巻き込まれる。
怠惰に支配され、テレビをみたりネットサーフィンで一日が終わり
「いったい私は何をしていたんだ、、、」と不毛な休日を嘆くこともある。

やらなければいけない行動にフォーカスするか、
感情(心)にフォーカスするか。

思えば、坐禅とはこれではないだろうか。
彼らは行動にフォーカスをむけて、心を心で制するという泥沼には
足を踏み入れない。
結跏趺坐で座る。
体はコントロールするけれど
心はコントロールしようとはしない。
ただ、結跏趺坐で座り続ける。

人は完全に統一された1つの塊ではなくて、さまざまなものの
が合わさっている。
あたかも小魚が1つの群れを作って大魚に見かけるように。

何に意識を向けるかで運命は変わってくる。
二度寝してしまう時には、同時に起きられた未来が存在する。
つねに分かれ道がある。

何かうまくいかないとき、
もしかしたらそれはフォーカスの問題かもしれない。


Category: 生活を変える方法

- 2016年12月25日

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