信者からの脱却

 

神様が人生を左右して、その指示通りに生きているという
ことを信じることができて、それで心が平安になる人は
それでいいと思う。

だけれども、世界をみるとそれは違うのではないかとおもう。
いろいろなニュースを見るにつけ、これは1つ1つ
偉大な存在が差配しているようには見えない。

戦争があり、その誤爆で子供が犠牲になる。
地震で教会が潰れて、信者が下敷きになって亡くなる。
もしも、この出来事を神がよくよく考えて起こしているのなら
私達は子供に飼われ、遊びで足ももがれる昆虫のような、哀れな存在でしかない。
残酷な神に支配された奴隷になってしまう。

それよりも、この世を支配しているのはエネルギーと
それがどのように働くかの法則だと思う。
無感情で科学的な法則に従ってエネルギーが躍動して、なんの思慮もはさまずに
起こるがままに起こる。

老子はタオ(自然)の働きは、
人間だからといって特別扱いすることなく、
あらゆるものと同様に生かしも殺しもすると言う。

こっちの言葉のほうが現実に即していると思う。

自然の法則は、私のことを配慮していないとわかる人。
私が雨男だから雨が降るのではなく、雨は降るべくして降っているのだと
理解している人でも、こと自分の人生になると
運命を信じたり神頼みをついついしてしまう。

人生も自然の法則のように、起こるべくして起こることが
起きているにすぎない。
生まれる原因、生きる原因、さまざまな行動から起きる結果、
ひところで「カルマ」と呼ばれるエネルギーの流れが人生を編んでいる。

だから、人生に意味を求めるのは間違っている。
それは起こるべくして起こることしか起こらない。
その出来事に、どういう意味をつけるのかを選択して
自分の人生を作り上げていく。
もしくは、人生から無駄な雑事を軽減して、純化していく。

生まれた時に1つの物語が決まっていて、それに従って生きている
みたいな運命の支配を信じる信者からの脱却。
最近、私はそういう信者から抜け出しつつある。

同時に、私を導く偉大な存在は信じている。
それは世界をサバイバルするために欠かせない同伴者だ。
援助はされていると思う。
だけれども、人生を創っているのは私だ。


Category: 生活を変える方法

- 2016年5月22日

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