筋肉至上主義との戦い

痩せ型コンプレックの私の中には、
筋肉モリモリになりたいという欲望がある。

体のトレーニングはランニング主体だけど、ケトルベルでの筋トレは
やめられない。
この間も、ケトルベルをしすぎて翌日寝込んだ。
アホである。

とにかく体重を増やしたい、という欲望。
そういう「筋肉至上主義者」が私の中にいる。

あるときは「おまえはランナー体型だから無理だよ」という
理性の声がそれを抑え込む。
しかし、欲望は根深い。
結果、回復の時間を含め、多大な時間を肉体を鍛えるのに使っている。

そんな理性と筋肉至上主義者との争いに、新たな武器(視点)が投入された。
それは「技術(スキル)の重要性」である。

たとえば、筋肉を鍛えても体重はせいぜい私の場合65キロがリミットだろう。
私よりも肉体的に強い人がいたとしても、その差はせいぜい3倍から5倍。
限界がある。

しかし、スキルの差は5倍以上、10倍、100倍も差があるという可能性がある。

たとえば、空手家の中達也先生は、体重はたぶん70キロくらいだろう。
私とは筋肉の量はそれほど違わない。
しかし、空手のスキルは天と地ほど違う。

ブッダがいかに優れていたとしても、脳の重さは私の数倍もない。
しかし、心のスキルは想像もつかないほど私とかけ離れている。

単純な体の力、などが活きるのは限定された世界でしかない。

たとえば私が小学生と戦いごっこをしたら勝つ。
体のデカさと腕力で楽勝に勝つことができる。

しかし、子供が100均で包丁を買ってきて、
それを使って私と戦いごっこをしたらどうなるだろうか?
装填されたボーガンを手に持っていたら?
私は殺されないように逃げるのが精一杯だ。
「素手で戦う」というルールに、体の大きさの優位は守られている。

あと、体をでかくするデメリットも忘れてはいけない。

私の中の筋肉至上主義者は「筋肉があればあるほどいい」と
力説するが、それだけの肉体を維持するには、たくさんの
食料がいる。
生きるコストが高い。
胃腸にも負担をかけるし、環境負荷も高いのだ。

だから、無理なく維持できる筋肉以外はいらない。
それよりも、なにかしらのスキルを磨いたらどうだろうか?















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- 2020年7月4日

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