すべては「超回復」のために

すべてはインターバルトレーニングなのだ。
「破壊」と「休養」と「超回復」の原理だ。

筋肉トレーニングをしてみる。
激しく筋肉を使い、休息して、さらにまた鍛える。
呼吸は荒くなり、休息の間に整い、また荒くなる。
ストレスをかけて、ストレスから解放して、ストレスをかける。
こうしてトレーニングを終えると、体は破壊された筋肉を回復させる
べく働き始める。
こうして破壊された筋肉は再生される。
以前と同じレベルではなく、それ以上の力に耐える強さを備えて生まれ変わる。

「破壊」と「休養」と「超回復」だ。

しかし、筋肉を破壊して破壊して破壊する。
休養を与えずに破壊すると弱っていく。
怪我をして、動かなくなってしまう。
「休養」なくして「超回復」はない。

ブラック企業で、長時間労働で寝る暇もなく、ストレスフルな生活をすると
「破壊」に「休養」が追いつかず、
「超回復」はおこらず、心身ともに疲弊して「破壊」一色に
黒く塗られていく。
同じストレスフルな仕事でも、「休養」がしっかりとあるならば
それは「超回復」をおこし、タフな人材になっていく。

これは学習にもいえる。
人生にもいえる。

そう考えると「破壊」のないストレスのない「休養」だらけの生活の害がわかる。
そうなると「超回復」は起こらずに、生命の重力である老化に
牽引されて心身ともに「退化」していく。

たとえば1億円あたったら、南の島のビーチで寝て過ごす「休養」一色の生活というのは
苦しい退化への道だ。
心身ともに贅肉にまみれて、脳死したような意識でぼーっと死んでいく道だ。

逆境の中にいるときは、身の周りのすべてのことが鍼(はり)や薬になり、
それで節操を砥ぎ、行動をみがいているのであるが、本人はそれに気づいていない。
これに対して順境にあるときは、目の前のすべてのことが、

実は刃や戈となって、それで肉を溶かし骨を削っているのであるが、
本人はそれを知らずにいる 菜根譚

「破壊」と「休養」と「超回復」

ヨガの行者は、精神を安定させるために止息の練習をする。
これも「破壊」と「休養」と「超回復」なのだ。
呼吸を止める(破壊)
呼吸をする(休養)という繰り返しで、
体は「超回復」する。
なにかストレスのかかる状況になっても、
いつも呼吸のインターバルトレーニングで鍛えられているので、
心身にとってストレスはいつもの日常で、速やかに消えていく。
ストレスを感じないのではなく、速やかに消えていく。

私達はできる範囲で、自らに「破壊」を課して、
ちゃんと「休養」して、「超回復(成長)」していかなければいけない。

「破壊」と「休養」と「超回復」

最近、筋トレであるケトルベルをしてみると、それがすごくわかる。
私は破壊されて少しづつだけど強くなっている。

破壊と再生の神「シヴァ」


Category: ケトルベル, 体を変える

- 2017年1月11日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *