不満足な世界で幸せに生きるヨガ

 

「この悩みがなければ幸せなのに」と思う。
だけど、悩みが無くなることはない。
この悩みがなくなると、次なる悩みがきっと出てくるだろう。
私が知る「こんな恵まれているなら悩みなんてなかろう」
思われる人も、対人関係で悩んでいると言っていた。
地位も財産も、悩みの追求の手を逃れる決め手にはならない。

それもそのはずで、ブッダが言うに
この世はドゥッカ(苦)がベースになっている。
ドゥッカとは「空しい、コントロールできない、不満、苦しい」という
意味のある言葉で、涅槃という特殊なレベル以外のすべてがドゥッカの性質を
もっている。
つまり目にするものすべてだ。

体はドゥッカだ。
病気もするし、老いていくし、明日から福山雅治の顔で行くと
決心しても自由に変えることができない。

他者もドゥッカだ。
自分の子供でさえも、意のままにはならない。
ましては生まれも育ちも年齢も違う他人が揃えば、
いろいろな軋轢が生まれるのは当然だ。

社会も、国も、あらゆる組織はドゥッカだ。

そんなドゥッカな性質のレゴブロックで、
「悩みが無い完璧な人生」のお城を築こうとしても
そもそもが無理なのだ。

どうすればいいのか?
賢者の生き方に学ぼう。

自分の外の世界であればあるほどドゥッカの性質は強い。
でも、自分の内面ならばドゥッカの性質から脱していける可能性がある。
外の世界や他人を変えることは不可能に近いけれど、
世界の受け取り方や、自分を変えることはそれよりも易しい。

それに気づいた賢者たちは大昔から、
自分の外の世界を完璧にする努力ではなく、
内なる世界である心を完成させる道を選んだ。

完璧な人生じゃない。
不幸な部分がある。
だけど、ドゥッカを抱えたまま、
今、ここから不幸なままで幸福になる努力をする。

外の世界はドゥッカだから、なんとか我慢できるのなら、
それで上等だと思うことにする。
その中で内面的に幸福になる努力をする。

簡単にできる幸福になる努力。
たとえば悩みがあると、人はその悩みしか目に入らなくなる。
でも、同時に人生には喜ばしいことや感謝すべきことも存在している。
そこに意識をむけるのだ。
意識には、向けた対象を強める効果がある。
やさしい気持ちに意識を向ける人はもっとやさしい人になるだろうし、
イライラする気持ちに意識をむけるとイライラする。
完璧な悩みのない人生が実現するのを待っていたら、
いつまでたっても蜃気楼のような未来をもとめて彷徨って人生が
終わることになる。

結論としては、八支則のヨガのニヤマ(すすんでするべきこと)の
サントーシャ(足るを知る)になる。

海で遭難して飢えと渇きに苦しめられて死にかけているところを
救助された人は、水と食料がある幸せを噛みしめる。
ただ生きているだけで、たくさんのことに感謝し満足できる
要素がたくさんある。
この世はドゥッカ(苦)だから、悩みは尽きない。
だけど、生きているということは死の強制収容所にでも収監されて
いない限り、感謝し満足できる側面が必ずある。
悩みが尽きるまで待っていたら、せっかくの良い側面を
見逃してしまう。
それはもったいない!

イメージで高次のエネルギーと繋がるツールズの
第4のツール「感謝の流れ」
サントーシャ(足るを知る)と同じメカニズムだと
思う。ヨガ的なんだよなぁ。

 

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Category: エッセンシャルヨガ, ヨガ的かんがえ

- 2016年2月12日

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