壊れた瞑想習慣の復旧作業

 

子供たちは夏休みということで、
ここしばらくいろいろな行事が重なったり、
仕事がハードになったり、夏バテしたりで
時間と体力が削られ、どんどん瞑想時間が減っている。
夜になると眠くてしかたなく、朝は起きられないという悪循環。
生きるのだけで精一杯だ。
そうなると座ってする瞑想をしない日がでてきた。

本当はまだまだ余力があるはず。
これしきが限界のわけがない。
いまの体力でも、原始人ならば腹が減れば獲物に向けて歩き出していく
だろう。
しかし、安楽な現代社会だと、冷蔵庫に食べ物があり、移動は車で
クーラーを効かせてテレビをぼーっと眺めることもできる。
意志力が摩耗すると、そっちの堕落の方面に向ってしまう。
堕落はたやすく、修行はしがたい。
腹が減ったら冷蔵庫にむかう欲は簡単に生まれるけれど、
疲れた時に瞑想に向かわせる精神力は、私の場合
かなり限られた資源で、枯渇しやすい。

こんなときに側に、瞑想の鬼教官がいて首根っこを
捕まえて坐蒲に座らせてくれたらいいのにと思う。
外部から強制って、良くも悪くも有効だ。
ブッダは僧たちの集団という<サンガ>を形成した。
もしもこういう時に、共に歩む仲間がいたら、
なんとかついていけるんだろうと思う。

言い訳ばかりになってしまったけれど、
ふたたび瞑想時間を増やすための試みを考えた。
朝と夜に、疲れていながらでも
少しだけ座るという、小さい目標を立てることから始める。

これは、脳の仕組みを利用した試みだ。
脳はあまりにも大きく感じる課題だと、
恐怖を感じて逃避してしまう。
まったくやらない、という選択を突き付けてくる。

だから、疲れていてもできる小さな課題で
とりあえずやる。

そういえば禅僧の南直哉さんは、
「1日5分の坐禅を一生続けられたら悟れることを
保障する」という意味のことをおっしゃっていた。
これはどんな状況になっても、継続される修行の力を
言い表しているんだと思う。

夜に5分、朝に5分の瞑想を最低ラインに設定して、
それをやることにする。
とりあえず5分、それならできる。

5分と決めて座っても、やってみたら意外とできて、
5分、10分、15分と時間が伸びる可能性も高い。
大きな課題をかかげて「できない」とまるっきりやらない
よりかはかなり良い。
小さい瞑想習慣を大きく育てていこう。

このような体たらくで情けないけれど、
とりあえずやろう。
そう思う。


Category: 生活を変える方法, 瞑想

- 2016年8月8日

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