鍛冶職人の語る無用の哲学

 

中国の古典「荘子」の知北遊篇の17に、
手元が狂うはずの80歳になっても寸分の狂いもない技を
もつ鍛冶職人の話がある。

秘訣を聞かれると、
「私はずっと守る続けていることがあります。
私は20歳の頃から鍛冶の仕事が好きになりましが、
ほかのことにはまったく目をくれず、
鍛冶以外のものに心をとらわれたことがありません」
と答えた。

荘子が解説する。
<この話からわかるように、ある目的のために力を用いるものは、
その半面に力を用いないという「無用」があるために、
いつまでもその「有用」を持ち続けることができるのである>

こ、これが「無用の用」かッ。
いままで「役に立たないことが役にたつ」ってどういうこと?
と意味がわからなかったけど、このエピソードは凄くわかりやすい。

ふりかえると、私はいろいろなことに関心をむけている気がする。
「器用貧乏」という言葉があるけれど、それに近い。
前から比べたら、やることをかなり減らして減らしてきたつもり
だけれども、もうちょっと突き詰めることができるかもしれない。

でも、減らしすぎると肝心の残したものが機能しなくなる
可能性もあるからバランスが大切だよね。

たとえば、仕事のために家族や友達を犠牲にし、
寝るのも食べるのも適当にしていると、
ついには仕事にも息詰まるだろう。

私の目指すヨガは、
「瞑想を支える最小限のヨガ」だ。
瞑想だけをしようとしても、やはり現代人の心身は
整っていないので難しい。
速やかに瞑想にはいるための遠回りが必要だと思う。

ちなみに知北遊篇は荘子<2>に収録

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Category: エッセンシャルヨガ, 読書

- 2016年5月20日

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