虚構の国を抜けて

 

 

 

 

このコロナ下で、ボーナスが支給されるのはありがたいことだ。
しかし、毎回、思うことがある。

たとえば、数日前にボーナスの金額がわかる。
支給日までワクワクして過ごす。
そして、当日、増える銀行口座を見て、
なにか虚しい思いに囚われる。

貯金が増えたけれど、それがとても遠いのだ。
自分の口座の金額はしっかり増えているけれど、
支給されてみれば、
まったく遠くのほうで何かが微かに何かがおこったという
程度にしか感じない。

そして、次の夏のボーナスが待ち遠しい。
まるでお腹いっぱいにならない偽人参を求めて
走る馬だ。

何故、こんなに虚しいのか?
金額が増えたのに虚しいのは何故なのか?

それはつまりこれが虚構だということだ。
お金は、生活に必要だ。
しかし、衣食住を賄うを超えるお金は、
途端に虚構になる。

虚に虚を足しても実にならない。

権力も、お金も、ブランド物も、得ても得ても満足できない
ものは、すべて虚構という性質で、
虚を満たすために虚を追加しても、
空っぽのものが増えるだけだ。

虚構の反対の現実はなんだろうか?

それは心、強さだったり、優しさ、賢さ。
心が豊かな人は、その数値化されない豊かさで
その力を現実のものとして実感できる。

あとは素晴らしい人間関係。
健康な体。

人を虐げ、自分の健康と心の健やかさを犠牲にして、
お金と権力を積んでいる大富豪よりも、
心を豊かにし、素晴らしい人間関係を持ち、
体を鍛えて健康な体を維持している庶民のほうが確実に幸福だ。
大富豪は、虚構のうっすらとした光、月明かりの中でぼんやりと生きていて、
心豊かの庶民は、現実の太陽の下でいきいきと生きている。

成功するためには、なにかをゲットしないといけない。
という成功の方程式が世間では流布しているけれど、
それは虚構の(お金、権力、有名)国の王様のなり方で、

本当に成功するには、かなり内的なありかたが問われる。
お金も権力も名声も、ほとんど必要としない。

ストア哲学者のセネカは大富豪だった。
しかし、彼の本当の財産は内的なものだった。
自分の金銀財宝と権力は虚構だと見抜いていた。
彼は著作で、私から金を奪っても、何も変わらないと
述べているが、
虚構を虚構と見抜いている人にとって、
虚構がなくなることはそもそも無いものが無くなるだけ
の話になる。

そこまで悟ることができないかもしれないが、
私も現実に即した生き方をしていきたい。









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- 2020年12月17日

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