ジョーカー

子ども好きの優しいアーサーが、悪のカリスマであるジョーカーになるまでの物語を描いた「ジョーカー」を観た。

 

 

 

ひたすら重い映画。
アーサーの心と一緒に、自分の心までじわじわと
殺されていくような映画。
最後、アーサーがジョーカーになった時、
「違う、アーサーの願いはこれじゃなかったはず」と
心の中で叫んだ。

すべてを奪われて、目の前には悪の道しかない。
心にあるのは悲しみと憎悪と狂気だけ。
救ってくれる人も福祉制度もない。
そんな人間は、どう生きればいいのか?

この映画がひたすら重くリアルなのは、
現実にこういう人がたくさんいる、ということだろう。
苦しみの連鎖から逃げられない。


個人の苦しみが社会にさらなる苦しみを広げる。
富豪の家に生まれたブルースウェインの両親は、虐げられた
人々の暴力によって死んだ。
両親を殺されたブルース・ウェインは後年、怒りと悲しみから
バットマンとなる。
絶望と悲しみでジョーカーになったアーサーと、
眉間にシワを寄せたコウモリのマスクをかぶったウエィンは
表裏一体のコインだった。
苦しみと悲しみという金属からできた一枚のコイン。
貧者と富者の世界は完全に分かれていない。

どこかの国のように、富裕層は壁に囲まれた高級住宅街に住み、銃で武装した警備員に自分たちを守らせるのか?
でも、それは自分で作り出した綺麗な牢獄に住むことだ。

平和は不幸な人をなくさないとやってこない。
そんなシンプルな教訓を教えてくれた映画だった。

一体、どうしたら人は救われるのか?
そんなことを考えさせられた。

しばらく、何週間か考えて、
でてきた答えらしきものは「道」だ。
よくある話なのは、なにかに出会い人が変わる、
生きながらの生まれ変わりだ。

ヤクザから牧師へ
人殺しから仏教徒から聖者へ。

宗教に出会うことで、人生が変わる人もいる。
最近みたテレビでは川崎の悪童たちがヒップホップに
出会い、更生したという話もある。

没頭できて、人を変える力がある何か。
「道」
それがヨガでも仏教でも、キリスト教でも、
ヒップホップでも、バスケットボールでも剣道でもいい。

前向きな現実逃避で、現実に折り合いをつけて生きる。
どうしたって世の中はままらないのだ。






Category: 映画

- 2019年11月4日

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