そこにサティがあれば道になる

お茶を飲むとか、文字を書くとか、
西洋ではそんな日常は精神的な道だとは見なされない。

しかし、日本では、茶道とか書道とか、
あまつさえ人を殺める手段である剣術が、
剣道として、精神的な道と融合している。

そこにサティ(気づき)があればそれは道になる。

歩くときは歩くことに気づき。
書く時は書くということに気づき。
四六時中、無自覚に陥ることなく、
自らの喜怒哀楽に気づいていることができれば、
生きることが道になる。

それを思い出そう。
何故なら、今日は駄目な日だったからだ。
家で子供が騒ぎ、瞑想をすることもできなかった。
というガッカリを、私は気づいている。
不完全を受容。

一枚上手になれ。
私は疲れ、イライラし、未来に心が奪われていた。
それだけだと、煩悩のおもうままだけど、
一枚上手、それに私は気づいている。
たったそれだけで、
悪影響がそこである程度防がれる。

おれ凄い、無比だ無比だと思えるときは、ずっぽりと無明に捕まっている。
自分がまだまだだと思える健全性は、成長の証。

生きれば生きるほど、いたらない私が見えてこそ、
順調なる人生なんだと思うことにしよう。

今日の唯一の救いはランニングできたこと。
サティを持って走れたから、後半は脳内が瞑想に近かった。





Category: 瞑想

- 2020年10月18日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *