フュージョンライフ

緑茶も止めた私に嫁が「生きてて楽しいの?」と聞いた

私がやめたもの。
煙草、お酒、コーヒー、砂糖。
肉食、そして最近、緑茶をやめてカフェインの
摂取をやめた。

カフェイン中毒歴は長い。
合法だからだれも咎めないけれど、
私の水分摂取はほぼ緑茶で、一日中カフェインに
漬かっている状態だった。

そういう人間がカフェインの摂取をやめると、
禁断症状がでてくる。
ひどい頭痛と倦怠感、眠くて眠くてしかたない。
頭もうまく働かない。

いままではカフェインありきで脳が動いていて、
それが急に抜けて、脳も一体どうやって活動して
いいのか戸惑っているような状態で、
「嘘だろう」という低脳なミスを仕事でしたりする。
そういう魔の時間が約1週間つづいて、
いまは3週間経過。

もうカフェインに対する欲求はほとんどなく、
頭痛や、能力低下もない。
脳もようやくカフェインからの自立をはたした。

考えられる限り、ほぼすべての中毒から脱した。
長い道のりだった。

緑茶をやめて、水を飲んでいる私をみて
嫁はコーヒーを飲みながら、呆れるように
「生きてて楽しい?」
と聞いた。

はたから見ると、あらゆることを止めて何の楽しみも
なく生きているように見えるだろうけれど、
これは楽しい。
お酒を飲むよりも、煙草を吸うよりも、緑茶を飲んで
カフェイン漬けになるよりも、
健康であることが一番楽しい。

なにかの嗜好品を嗜む人は、それを摂取している時に
安息感や楽しみを感じ、それ以外の時間は
「煙草が吸いたい」「お酒が飲みたい」という欲求を
抱えて生きることになる。不自由だ。
健康を楽しむ人はその欲求から自由で、つねに健康を
楽しみながら生きられる。

コーヒーも飲まない、緑茶も飲まない、お酒も飲まないなんて
いう不自由そうな行動様式を送っていると、
いったいどんな我慢した生活なんだろうと思われるけれど、
じつのところ、そういう欲求が無いので楽でしかたない。

極端な事例を言うと、
麻薬中毒者が、一度も麻薬をとったことに無い私に、
「どうしてあなたはヘロインを我慢できるのですか?」
と聞くようなものだ。
私にはヘロインへの欲求がない、だから我慢もしていない。
1日中ヘロインを我慢して耐えている中毒者と、
まったく我慢していない人では、生活の楽さ具合が違う。

カフェインをやめてから、感じた変化は
睡眠時間が短くなった。
休日の朝、二度寝しようとしてもなかなか寝られなくなった。
睡眠が深くなったということなんだろうか。

体の中が静かになった。
カフェインを過剰摂取している時は、
体内がチリチリと燃えているような感覚が
あったのだけれど、それが消えた。

結局、欲求不満がなく満足しているのが
一番幸福なのだ。
だから、一度摂取すると、また欲しくなる嗜好品を
食べないのが、欲求不満なく満足する生活なんだと私は思う。

余計な欲望を持たない。
それも「足るを知る」なのだ。

次の目標は少食、、、、、これは結構ハードルが高い。