瞑想や気功ような静かに養生することを大切にする人は、
筋トレは「体を消耗させる」と毛嫌いすることがある。
ちなみに私も「体を部分的に使う筋トレ」は反対だ。
上腕二頭筋なら上腕二頭筋にだけを使う、なんてことは、
30人のチームの中の一人だけに仕事をさせて鍛えるみたいな
やり方になる。。
効率的なのは30人がチームワークで、全体の力を統合して
動くことであって、1人での単独プレーを強化すると、
悪くするとチームプレーができない、全身の協調性を失った
体になってしまう。
だから全身をつかう筋トレがいい。
筋トレが大好きな人は、悪くするとやり過ぎて
体を消耗させて、体を悪くすることもある。
使いすぎて回復させないと壊れていく。
でも体は休ませすぎると、衰えていく。
陰と陽。
この2つは両輪だ。
どちらも必要。
ストレスがありすぎても、なさすぎても
心身に悪いのだ。
以前、私がしていたアシュタンガヨガは筋トレの要素が強い。
私はいまは瞑想が重要だと思っているけど、
瞑想だけの実践というのも体を衰えさせる。
いまでもアシュタンガヨガをしていた頃から継続して
太陽礼拝だけはしている。
鍛錬と休養だ。
呼吸法で、苦しさを感じない範囲で息を止めたりもする。
息を止められた体にはストレスがかかる。
それから大きく呼吸する。
ストレスをかけて回復させる。
ここでも鍛錬と休養を見ることが出来る。
「強化すること」ばかりになると、体との同一化が深まって、
「私=この体」というアイデンティティが強まる。
そうなると体の衰えを受け入れ難くなり苦しむことになる。
瞑想で「手放す」という立場に立つことも必要になる。
ヨーガスートラでいうところの「実践」と「離欲」だ。