創造性を殺す方法がある。
それは「恐怖」や「欲」にかられることだ。
なにかするとき「それをしないと後からひどいことになる」とか、
「これをすると儲けられそうだ」というところからスタートすると、
どんどんやることなすこと色褪せていく。
子供がなんの利益も考えずに遊ぶために遊ぶ姿に、創造性のエッセンスがある。
私にはしたいことがある。
しかし、それをしても「一銭にもならない」し、
そんなことに時間を費やして「人生大丈夫なのか?」と
いう恐怖が沸き起こり、さっさと創造性は心の奥に
しまいこまれる。
これは世界に蔓延している。
こういう状態の人間は、ソローのいう
「大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている」
ということになる。
創造性が殺された状態で生きていることは、
「動く死体」のようなものだ。
むしろあらゆるものを蹴っても、生きるべきだ。
「金にもならない」
「世間的な名誉とは結びつかない」
いいじゃないか。
その行為は、行うこと自体が報酬である。
だから安心してやろう。
断言しよう。
そうした生き方をした人間は死の床について、
絶対に後悔しない。
ファイブという本がある。
その中に私が知る限りもっとも悲しいエピソードある。
死の床についた男のまわりに、大勢の人が悲しげな顔で
立っている。
見慣れない顔だけど、どこか懐かしい。
男は、子供の頃の遊び仲間かと思ったが、人びとは違うと口を開いた。
「友よ、私達はあなたが夢みたのに「果たされなかった約束」で
あり、「発見されることのなかった才能」なのだ。
私たちは、あなたと共に死ぬためにここにいるのだ」
私はこれが一番悲しいことだと思う。
あなたはどうだろうか?