フュージョンライフ

スローな意識で吃音(イップス)を再教育する

私の無意識のプログラムの一部は壊れている。
昔、激しいストレスを受けた時に壊れた。

だれしも一つや2つ持っている。
恐怖症。
不安症。
そのたぐいだ。
私の具体的な症状は吃音症になって出た。

私は軽度の吃音症だ。
知り合いの中でも、私が吃音症だと気づいている人は何人いるだろうか?というくらいのレベル。
日常生活では、ほとんど吃らない。
でも、私は常に恐れている。
喋ることに恐怖を感じている。

それ(壊れた無意識プログラム)は何年立っても、恐怖をエネルギー源に劣化コピーを繰り返し、時に私を乗っ取り、私はそれと戦う不毛な時間を繰り返していた。

また、吃ったらどうしよう?
きちんと喋れるだろうか?

そのプログラムを破壊しようとすると、その破壊やコントロールする意思を糧にさらにそれは強化された。
恐れば恐れるほど強化され、治そうとすればするほど悪化する。
自分の意志力が強ければ強いほど、それもまた強くなる。

一人のときはスラスラとしゃべることができる。
だけど、それは突然やってくる。
単語が出てこなくなる。

非現実的なことだ、ただの思いこみだ、と理性では理解できる。
しかし、それの壊れた力は理性を凌駕する実際的な力を持ち、
肉体は凍ったようになり、コントロールを失う。
まるで暴れ馬に乗っているような人生だ。

アスリートが突然、投球ができなくなったり、ゴルフのパットができなくなったりするイップスもこれと同じだ。

恐怖症、不安症を抱えている人ならば、きっと理解してくれるはずだ。
現実の症状も辛いが、それ発症に怯えて生きるのはもっと辛い。

しかし、その壊れたプログラムに介入する方法がようやく分かった。

吃音はコントロールできない、人間がパソコンだとすれば、壊れたアプリケーションを動かしながら、治すことはできないからだ。

「喋る」ということは、無意識の領域にあり、壊れたアプリケーションを起動させている限り、いつエラーが出るかわかったものではない。
暴れ馬に乗る限り、暴れる可能性は消えない。

どうやったら、この暴れ馬を調教できるのか?
それは意識で介入して、再プログラミングすればいい。

無意識の領域に入らず、意識に主導権を握らせればいい。

足を滑らせて、倒れる時にとっさに体が動く。
そんな時意識はぜんぜん働かない。
すべて無意識の反応で体は処理する。

無意識は早い。
そして、意識は遅い。

だから、意識に主導権を握らせる場合は、
スローに生きればいいのだ。
「ゆっくりと喋る」のだ。
(イップスのアスリートならば、
太極拳のようにゆっくりと動作を繰り返すのだ)

吃音の人は、喋るのが怖い。
怖いことは早く終わってほしいから、
急いで喋る。

急いで喋るには、速度の早い無意識の力が必要だ。
しかし、その無意識のプログラムが壊れている。

そして、私が言うのもなんだけど、
吃音者はじつは頭がいい人が多い。
何もしていない時でも、
普通の人を凌駕する無意識のスピードを持っている。
頭の回転が早いのだ。
そんな人が、さらに無意識のスピードを上げたら?

その圧縮された言語データを肉体が言葉にできないという自体に陥る。
急いでいる人の体から優雅さが失われて、バタバタと動くのと同じように、肉体は心の過剰な速度に対応できない。
あまりの情報量を流しこまれた肉体のフリーズ状態が吃音だ。

そこでだ。
「ゆっくりと喋る」

新しい言語を喋るかのように、ゆっくりと喋る。
戦場カメラマンの渡部陽一さんのように。
心をこめてゆっくりと喋る。





これを繰り返せば、意識で無意識を再プログラムできる。

吃音の人は音読や発声練習を密かにしている人が多いだろう。
そんな時はきっと立て板に水のように、アナウンサーのように
綺麗に流暢に喋ろうと練習している。

それが間違いの元だ。

じつはさっきから「壊れたプログラム」と言っているが、
実は吃音の場合、脳の言語野や発話機能は、いっさい壊れていない。
その証拠に、自分一人のときはスラスラと喋れる。
壊れているのは無意識のスピードだ。

大型のエンジンを積んだ車のアクセルを一気に踏み込むとタイヤが
パワーに負けて、キュルキュルと空転し、地面にタイヤ擦れる。
そんな感じで、アクセルを踏む速度のプログラムが壊れている。

だから、音読にせよ発声練習にせよ、吃音の人は、
スローにひたすらスローに行って、
壊れた速度を、再プログラムして、肉体が驚かない速度に
落とす必要がある。

なにかの動作を無意識化するには、ゆっくりと繰り返すことだ。
あなたはこうやって、子供時代にさまざまなことを習得してきた。
それを行えば、無意識は再プログラムできる。

ゆっくりと喋って、大丈夫か?と
思うかもしれない。

やってみるとわかるけれど、ゆっくりと喋ると、
人からは「きちんと、優しく対応している」と感じてもらえるし、
相手が早口で聞き取れない、ということも無くなる。