たとえば、一日に予定をぎっしりと詰めこんで、
「今日はこんなにたくさんのことをした。
いろんなことをして慌ただしく過ごした」
ということで、充実した一日だったとする人はいないだろうか。
「たくさん、早く」がキーワードのファーストフードな人生だと思う。
たとえば本を読むなら、速読してたくさんの本を読むことを重視する。
観光旅行なら、一日でいかにたくさんの観光スポットを巡ったかを重視する。
しかし、そんな風に生きても何も残るものはない。
これは「悪しき未来志向」だ。
つねに今ではなくて、未来をみている。
馬の前にぶら下げられたニンジンを
追いかけるような人生。
私は本を読むのが早い。
だけど、残るものは少ない。
たくさん読んでも残らないなら無意味だ。
どうして早く読もうとしたんだろう?
それは次に読みたい本があったからだ。
悪しき未来志向。
この間、「清須会議」をみて秀吉に興味をもった。
司馬遼太郎の「新史太閤記」を読みたいと思っているときに、
ブログの過去ログの整理をしていたら、すでに自分が読んだことが
あることを発見して愕然とする。
ぜんぜん覚えていない。
ありえない。
これはいろいろなことを詰めこもうとする害だ。
改善しないといけない。
だから、
1つ1つのことに時間をかける。
完成度を高める。
腰をすえる。
しっかりと味わう。
私は一日をこれだけ丁寧に生きたと誇る人になりたい。
「少なく、しかしより良く」だ。
今できることは、少ないことしかできない。
でも、今に集中しているなら出来ることは良くできるだろう。
今を生きるヨガ的生活。
ばたばたと程度の低いものを大量生産して生きる人生よりも、
着実にほんの少し良い物が残る人生のほうが価値がある。
「量より質」なのだ。