フュージョンライフ

目標の陰陽のバランスを考えると無駄な行動が減る

自己啓発の世界では、
自分のやりたいことを具体的な目標にするという
のは王道中の王道だと思う。

私も過去、数多の目標を立てた、けれど
恥ずかしい話、達成率は高くない。
いまさらながら、その原因に最近気がついた。

昨日の24時間、私は隙間なく生活した。
寝ていたり、食べていたり、仕事をしていたり、
話したり、つまりまったく空白の時間は存在しなかった。

新しい目標を立てる時、
私達は、その隙間なく過ぎていく毎日に目標を
無理やりねじ込もうとする。
それがどれくらい時間がかかるか、考えずに
「できたらいいな」と目標を立てる。
目標を立てると、あたかも新しい時間が生まれるかのようだけど、
そんな都合のいい話はない。

あたりまえだけど、
目標を立てる、とは「やめること」と「やること」を
同時に立てることなのだ。
陰陽のバランスが釣り合わないと、目標は機能しない。

「1日2時間瞑想する」と決めたら、
いまの生活から2時間、やめることを決めないといけない。
ネットサーフィンだったり、テレビの時間だったり、
ときとして家族との団欒の時間だったり、睡眠時間だったり。

家庭菜園をしていても、それを学ぶことができる。

新しい苗を植える場所に生えている雑草は抜かなければいけないし、
すべての種類の野菜を植えることはできないから選別しなければいけない。
決まった広さの菜園に、すべての野菜を植えることはできない。

そう考えると、出家というスタイルの原型がわかる。
「智慧と慈悲」を手に入れるために、世俗の生活をすべて捨てる。
世俗の生活をしながら、同時に精神的な偉業を手にいれることはできない。
人間としてのほとんどすべてを捨てる生活で、
人間を超えることを目指す。

偉業を成し遂げた人は、同時に、大きな何かを捨てた人だ。
ブッダは王族の地位を捨てたし、ボディビルダーはまともな食事という選択肢を
捨てているし、偉大なロッククライマーは山に籠り、まともな社会生活を捨てている。
出家的生活で捨てて捨てて、自分にとって大切なものを手に入れている。
(その例とは逆のようだけど仏教では、在家でも悟りに至る人がいるという。
しかし、在家と一言でいっても、その中身には上から下まで在る。
悟りに至る在家は出家に近い在家だ。
何か大きな物を捨てている。
たとえば楽しむための交友であったり、飲酒などの習慣であったり、
娯楽だったり、普通の人と同じ生活を捨てている。)

人は、他人が得たものを羨ましがるけれど、
その裏側でその人が捨てたもの、それを得るために選択した
鍛錬の苦しみを同時に羨ましがることはしない。

英語が喋れるようになりたい、とか。
武術をもうちょっとやってみたい、とか。
ときどき、私の中にそういう憧れがやってくるけれど、
いまの生活から、それらを入れるために何を抜くのか考えると、
「できない」という結論に至る。

どうしても諦めきれない場合、
その代案として、そのエッセンスだけ短時間で実践するということになる。

英語だったら、非ネイティブのために開発されたグロービッシュ英会話という
もので、英語の習得時間を減らすという手もあるだろう。

昔、私はアシュタンガヨガという1回1時間30分はかかる肉体鍛錬系のヨガを
していたけれど、今はそれを止めて、太陽礼拝という運動に凝縮して
時短している。

瞑想を深めるためだけならば、歩く瞑想でひたすらウオーキングをしていれば
いいのだけど、まだ娑婆っ気が抜けきっていない私は体を鍛えたい。
高齢になるまで、体の機能を衰えさせたくない。
そういう欲があるから、肉体鍛錬をする。

でも、時間はかけられないので、いろいろ模索して
、ケトルベルという短時間で筋トレと有酸素運動ができるトレーニング法を実践している。
太陽礼拝とケトルベルでトレーニングすれば30分もすれば充分すぎる鍛錬になる。
余った1時間は座る瞑想に当てる。

何かを止めること、だけでもダメ。
何かをすること、だけでもダメ。
その両方を同時にして、はじめて目標は機能する。

たとえば私なら、過去の成功例でいうと、
コーヒーを飲むのを止めるときは、
その習慣を緑茶に置き換えて成功した。

飲酒の習慣はビールを飲まないかわりに
炭酸水を飲むことで成功した。

成功した事例は、やはり「やめる」と「やる」が
自然と同時進行していた。

時として、好奇心に引っ張られ、やりたい!が先行して、それに伴う
やめなければいけないことを見失いがちになるけれど、
私の場合、瞑想の時間がそれと引き換えに削られることを思うと、
ほとんどの場合「それはできない」という結論になって、
無駄に右往左往しなくなった。

本を読む時もそうだ。
ただちょっと面白そうと思う本を読む時間を作ると、
今年中に10回繰り返して読む予定のウ・ジョーティカ師の「自由への旅」
を読む時間を削ることになる。

そう考えると、私には新しい本を読む時間はほとんど無いのではないか。
家には厳選した本しか置かないようにしてあり、
本棚にはウ・ジョーティカ師やショーペンハウアー先生、セネカ先生、
アーチャン・チャー師の本がある。
それら諸先生方の言葉を定期的に訪問することを考えると、
ちょっとやそっとの本では読むに値しないことになる。

いろいろな行動を陰陽で見てみると、
それが本当に大切なのかわかって面白い。

参考書

ウ・ジョーティカ
新潮社
売り上げランキング: 9,980
ショーペンハウアー
新潮社
売り上げランキング: 16,349
アーチャン・チャー
サンガ
売り上げランキング: 49,317
セネカ
岩波書店
売り上げランキング: 18,190