私は奥さんから見ると一貫性がないように見えるらしい。
やることなすことコロコロ変わる。
そうかな?
自分的にはとても一貫性がある生き方をしていると思っている。
なんだかクイズみたいになってしまった。
本当のところどうなんだろう。
私のサイドから見れば、
「瞑想」「運動」は一貫して続けている。
だけど、その実践の方法がコロコロかわる。
その時々でいいと思ったことをしている、という
ところも一貫している。
根本的なところは不動で一貫している。
奥さんからしたら、
あるときは立禅に夢中になり、あるときは四股を、
あるときはランニング、呼吸法などなどやることが
コロコロと変わる。
朝ごはんを食べたり、食べなかったり、
小麦食べないと決めたり、バクバク食べたり。
一貫性がない。
私のサイドからみると、一貫して
人生を実験しているのだ。
いろいろ試してどんな風な変化が起こるのか、
試行錯誤していると言いたい。
言い訳みたいなことを書くのをやめて、
本音をいえば一貫性なんて無くても構わない。
人はそもそも一貫していない。
学ぶ人は、一日一日、どんどん別人になっていく。
「不変で絶対に変わらない私」というものが
存在しないから、一貫性なんてものは期待できない。
もしも一貫性があるように見えるのなら、
あんまりいいことではないかもしれない。
もしも間違えたまま一貫性があったとしたら、
一貫して間違えたまま生きることになる。
だから一貫性じたいにはいいもわるいもない。
よく変化し続ける。
一貫性よりも優れたこと。