「自分のことは一番自分がわかっているから」と
思うけれど、そうじゃない。
「私」という単独なものがあるわけじゃなくて、
周囲の環境などのさまざまなものに刺激されて生まれる
「私」はつねにゆらいでいる。
来年の自分がどう考えているかはまったく
わかったもんじゃない。
去年の私は実利一辺倒で、
家庭菜園には食べられる野菜or土壌を改良する機能のある花しか
植えなかった。
しかし、今年は春になると、
「花を植えよう、、ッ!」と
何故か火がついて、綺麗なお花をもとめて
ホームセンターをまわっている自分がいた。
何故?と聞かれれば、
「お花があると綺麗で、心が和むから」と答えるだろう。
去年の自分だったら「その分、食べれられる野菜を植えようよ」と
言うだろうけれど、
今年40歳になる私の意見は違うらしい。
花の美しさがこの頃やっとわかる。
人は知らず知らずに変化していく。
いろいろな刺激で、良くも悪くも変わっていく。
固定した永遠不滅の「私」なんていない。
仏教では、
さまざまな影響でうまれ、変化していく「私」の
ことを「無我」という真理で説明している。
毎年咲く宿根草のお花を中心に植えた。
その方がお得だと思ったからだ。
でもよく考えれば一年草の花でも、最後には
種を残して枯れるので来年生えてくるんだよね。