サピエンスの必要最低限生活と幸福

この間、「サピエンス全史」を読んでいて、
なるほどと思ってことは、
脳というのは人を「幸福」と「不幸」の
「普通の状態」に置くようにセッティングされて
いるという話。

たとえば、いくらセックスが
快感でも終わってしまえば、脳は急激にその快感を
回収してしまう。
そうしないと、餓死するまでセックスしたりする
からだ。
いわば、快感と苦痛は脳が人体を動かす時の
飴と鞭で、繁殖と生存を促す行動を起こさせるため
に人は不幸でも幸福でもない「普通の状態」に
脳内物質により据え置かえる。

だから「永遠の至福に浸る」みたいな状態は無い。
座っているだけで至福の境地だったら、
人体は何もしない。
空腹の苦痛も渇きも感じず、座りっぱなしの
尻の痛みも感じなかったら、
至福のままに死んでしまうだろう。

だから、どんなに幸福でも不幸でも、
脳内物質的には、それは去っていってしまう。

幸福感が脳内物質で決っているのだから、
たとえば、中世の泥壁の家に住んでいる農民と
現代のペントハウスに住んでいる銀行家の幸福感は
変わらない。

中世の農民も、現代の銀行家も
脳の仕組みが変わらないのだから、
幸福感の上限も同じだし、
どんな環境にも脳は慣れて幸福感を精製
しなくなり「普通」の状態にして、
しまうからだ。

たとえば、アパートから持ち家に住んでも
幸福感はさほど変わらない。
脳はすみやかに「これが普通」と慣れてしまうからだ。
逆に、想像するだに不幸な刑務所暮らしも、
ツライのは適応する最初の数ヶ月だけだろう。
脳はすみやかに「これが普通」と慣れるからだ。

そう考えると、生活の質は向上させないほうがいい。

貧乏に、必要最低限の生活に適応しておくのが強い生き方だ。
どうせ脳はそれに慣れて普通になってしまう。

私の場合、この間、車を追突されて
トランクが凹んで、それを自己流で修理した
けれど、その状態にも今は慣れた。
人に言うと笑うから、笑い話の持ちネタ化している。
不幸でも惨めでもない。

なにもかも一流の金のかかる生活に慣れてしまうと、
その高級な生活を維持するのにお金がかかる。
しかも、その大量消費のハイライフは
最初は目新しくても、脳内ではいずれ
「これが普通の生活」となってしまう。
金を湯水の如く使っても
一向に幸福感はあがらない。

「年収1億円の普通の日常生活」を送っている人は、
年収300万円の生活に落ちることは甚大な苦痛
になる。
そして、年収1億円を維持するのはとても難しい。

だから、もし年収がぐんぐんと上がっていったと
しても、生活の質は貧しい時のまま必要最低限で
留めておくのが賢明なやり方だ。
世間の波風が強く吹いて、年収が下がっても、
常に「平穏な日常」が守られる。

足ると知る。
というのは深い知識なのだ。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
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オバマ大統領が絶賛していただけあって、
良書だった。
それにしても、一昔前だったら
帝国の皇帝と一般人の情報格差は
天と地ほどあったけど、
今では大統領と一般人が同じ
知識に触れられるんだから凄いよね。

そして、その一流の知識が安い。
上下あわせでも4000円で、
アメリカ大統領も唸るような知識人の
話を疑似体験的に聞くことができる。
いい本は常に安い。


Category: 生活を変える方法, 読書

- 2017年12月24日

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