2003年マレーシア旅行、27歳の私の冒険

スーパー長文です。
記録のためにアップロードした記事なので、
よほど暇な人で無い限り読まないほうがいいです。

4月9日
東京からクアラルンプール
今から旅行記なんて書こうかと思っているのですが、
デジカメで旅の途中で壊れたので、デジタルの写真は一枚もなし、、、、、(のちに復元できました)
文章のみというスパルタンな更新になりそうです。

ううん、旅の途中、日本語の使えないパソコンで「nihon no minasan」とか
ニセ外国人のような更新をしていたことを思えばマシでしょうか。
さて、一日目、小松空港から羽田に飛び、その日は東京に住んでいるブラザーのところにやっかいになることに。

ちなみに、ブラザーとは黒人の方ではなく、私の弟です。

あ、書かなくても判りますよね。なんだろう、最近こういう
寒い系のことが言いたくなる発作がおきます。無視してね。
東京に乗り込んだとき、私の姿はワイシャツ一枚に大きなザックを担いでいるという季節はずれもはだはだしい姿で、かなり異様でした。

出発の日、石川県に雪が降っていたので、当然といえば当然ですが、たくさんある荷物をこれ以上増やさないため、あえてジャンバーの類を着てこなかったのです。

東京なら、大丈夫だろう。

きっと暖かいはずさ。という期待は、モノレールから降りた瞬間、

「さ、寒い」という現実のまえに、ああああ、なんかもってくればよかったよーという後悔に苛まれるはめになったのです。

銀座に用がある弟に、でかい荷物だけ回収してもらってから東京見物としゃれ込む予定だったので、弟に電話。

「す、すまんけど、寒いからなんか羽織るもの持ってきてくれない?」

と連絡。衣装持ちの弟がいてよかった。銀座で弟のエルグランドにザックを乗せ、ジャンバーを借りて、東京見物開始。

六本木ヒルズに行き、展望台に昇り、東京の街を眺める。
展望台行きのエレベーターが高速かつ、無音なのに驚きました。
六本木ヒルズの周辺の人たちは、みんなエリートに見えるなー。
ヒルズの中に入るときは、駅の改札口みたいのがあって、IDカードを通さないとのこのこと入れないようになっていた。

きっと、あそこのIDカードを持っている人は、みんな年収1000万くらいなんだろうな、これが格差社会か、、、、、となんだか日本の現実が形になった建物のようで嫌な感じ、私はこそっと記念撮影して立ち去りました。

それから、日本でのアシュタンガヨガの聖地荻窪に行き、クラスに参加。
マヤ先生という方のクラスに出ました。
このお方、インドのマイソールにこの間まで修行に行っていて、私はそのブログを読んで、先生がいないという事実を知ったのです。
(マイソールのシャラがクローズになっていて、行っても練習できなかった、というオチです。そういえばあれからまだ一度もインドの地を踏んでいません。私的には日本で練習しているだけで十分な気がしています。)

いわば旅の恩人なのです。
この日は新月で、アシュタンガヨガでは激しい練習をしない日です。
座学と、呼吸法、軽く体を動かす程度だったのですが、
いや、マジでためになりました。
最後には、マヤ先生を捕まえて、日頃自分自身でおかしいと感じているポーズを何個か修正してもらいました。
きてよかった!本当に。
こんなにためになるなら、東京で3日くらい集中的にヨガでもよかったかな?なんて
思ってしまいました。ありがとうございます、マヤ先生。

それから、ブラザーの部屋にヘイヨーとお邪魔して、酒を飲み、飯を食い、服を借り、洗濯してもらい、布団をひいてもらうという、世話になりっぱなしのアホなあんちゃんそのままに滞在し、翌朝は6時に部屋を出て、成田へ。

成田エキスプレスに乗り、いよいよ成田空港に入る。

ここらへんから、ドキドキし始めます。
航空券の受付の列にならぶと、マレーシアに帰るであろう華人の集団の中国語が飛び交い、私のうしろにはインド人みたいな人がいる。
もうここから外国って感じです。

受付の方が、私の前にならんでいたマレー人みたいな女の人と
激しく英語でやりとりしている。
受付の人も外国人だ!と思っていたら、

「お客様、お席は窓側がいいでしょうか、通路側がいいでしょうか?」

と日本語で話しかけられたので、

本当に、

「わっ、びっくりした」と言ってしまった。

それが聞こえた受付の人の眉間に皺がよったが、結局、どうして
びっくりしたのか、というフォローができないまま受付終了。

だって、外国人かと思いこんでいたら、思いっきり日本人でそれで
驚いた、なんて言えないですもの。
無事にチエックインしたあと、マレーシアで行動するときに持っていくサイフと
小さいショルダーバックを買う。両方ともWENGERで統一した。

クレジットカードと銀行のカード、現金、トラベラーズチエックは
分散して入れておく作戦なのです。
空港内の免税店をうろうろしていると、搭乗時間になったので、
マレーシア航空の飛行機に乗る。
スチュワーデスさんが、マレーシアの民族衣装みたいのを着ている。

そして男のスチュワード?さんは、マレー人だ!(たぶん)
おおっ、ここからもうマレーシアだ、、、!
と私の緊張はかなりのものになった。
窓側の席につくと、いろいろなことを考えた。
じつは、私とボルネオ島は因縁があるのです。

石川から出発する当日知ったのですが、私の祖母は戦争でボルネオ島に行っている。
日本軍はボルネオの街を破壊し、住民を虐待し、殺したらしい。
祖父は孫の私には「戦闘はなかった」といっていたが、本当だろうか?
あっても孫には言わない、まさか祖父が侵略した島に遊びに行くことになるなんて、、、、、、運命を感じる。
たとえ、マレーシアで人に騙されたり、傷つけられたりしても
しかたのない。祖父や日本は、それ以上のことを
ボルネオの人にしている、そのつけが周り回って、降ってくるかれしれない。

考え込んでいると、飛行機が加速しだした。
飛行機が飛び立つ瞬間は感動的。
こんな鉄の塊を飛ばそうとした理想家の執念に感動します。
ううん、と感動していると、スチュワーデスさんがジュースを配りだした。
それを飲みながら、飛行機の設備などをチエックしていると、
となりに座っている人の姿が気になった。
服を3枚くらい重ね着して、そのうえにジャケットを羽織っているのです。

この人、マレーシアが気温30度だって知らないのか?
と東京でワイシャツ一枚でうろついていた私を
見る人々の心境がわかった。

席の前にモニターがあるので、いろいろと調べると嬉しいことがわかりました。

映画が見れるのです。
しかも新しいやつが。
私は<イーオンフラッグ>と<ハリーポッターと炎のゴブレッド>を連続で見ました。かなりお得な気分。

それからは、「地球の歩き方」をみて、出国カードを記入したり、
私の今回の旅のバイブル
「セインカミュのすぐ使える旅の英会話」を読んだりしました。

もうこの頃になると、もうすぐ外国だという思いに手にじっとりと汗をかいていました。やたらと喉がかわく。

そういえば、書いていないことが。

機内食です!

よくテレビとかで「フィッシッかビーフか?」と英語で聞かれるってシーンがあるじゃないですか。

いい匂いが機内に充満するなか、
私は自分の番を待ちながら

「フイッシュプリーズ」

の練習を何回もした。

で、私の番が来てスチュワーデスさんが聞いたのです。

「お魚とお肉、どちらがいいですか?」

「お、お魚ください」

かなり気合いが抜けました。
機内食はかなりおいしかった!
やるじゃん、マレーシア航空!
そして、6時間半後、クアラルンプール到着。
そして、入国審査。

なにか聞かれたら「サイトシーイング」で滞在日数は「ナインデイズ」だと、入念の頭のなかでリハーサルしました。
ここでつまづくわけにはいかんのですよ!
とマレー人の女の審査官にパスポートと入国カードを提出。
審査官はとなりの審査官と、なにか世間話をしながら私のパスポートにハンコをポンを押して、パスポートと入国カードの半券を私に返してきた。

あれええええ?これでお終い?
激しい尋問とかはないんですか?

とマゾの人みたいに思ったけど、
あっさりと入国審査が終わって良かった。

マレーシアに無事に入国。

さて、さて。

ふふふふふ。

じつはです。

この一日目なんですが、ホテルの予約が取れないのです。

初めての海外旅行、しかも個人旅行、乏しい英語力なのに、ホテルがとれていない、というちょっと頭おかしい感じの初日のプラン。
(いまでもこの無鉄砲な行動は意味がわかりません)
私の人生、けっこうこういうことがあります。
クアラルンプール国際空港は、すごく綺麗な空港。
私はどこか空港のなかに、ホテルの予約をとってくれるところが
あるはずだ、と空港内を歩き回ると、あった!ビジターセンターというところがあったので、今夜にホテルを予約したいと英語で話す。

イスラム教の女性が、英語で話してくれるのですが、

ぜんぜん理解できない、、、、!

こうなったら、もう顔をよくみて、身振り手振り、わかる単語などの

情報を組み合わせて推理するしかない!
(この頃、私は「英語は絶対勉強するな」という本で英語を勉強していて、そのままの意味にうけとって、英語のCDを散歩のときに聞くだけで、絶対に勉強していなかったので、これは当然だと思うのですが、ここらへんから「楽しい海外旅行」というより
「自腹をきったサバルバルツアー」に早変わりです)

なんとか理解することができたのは、このカウンターを出たところにいる
「ナントカ」さんに会えということ。

私はサンキューと言って、カウンターを後にしました。

この瞬間、私は自分の英語力がまったくお話にならないレベルであることが身にしみてわかりました。
やばい、マジでやばい。
そう思いながら歩いていると、ダンボールに「トシカズ」と書かれたカードを持った

男性がいた、あっ、あの人だ!と「ハロー、マイネームイズ トシカズ」と自己紹介すると、「ハウアーユー」と挨拶。
この方がホテルに連れて行ってくれるのだろうか、その前に私は両替しないと、「ナントカ」さんと一緒に両替コーナーに行き、2万円ほどリンギットに両替。

円に比べると、とても小さいサイズのお札だ。
その方は、ホテルのグループの社員のようで、ホテルの予約カウンターまでつれていってくれました。そこにいた愛想のいいおばちゃんに、「空港の近くのホテルがいい」というと、「フリー」と言われた。
「フリー?」無料ってことか?などと考えていたら、フル、つまり満室らしい。
もうこの際、どこでもいい、と思った。私の英語力では部屋の交渉は無理。

ここでいいか?と金額を提示されたところにイエスと言った。
クアラルンプールにあるホテルのようだ。
空港から車で1時間、明日の朝の送迎もついて12000円。
ホテルが決まった時点で、もう私はふらふら、頭痛がする。

空港から出ると、すこし元気になった。
外は暖かい!なんか夏の夕方みたいな感じで、おお、マレーシアにきたんだ!と実感。

送迎は、中国人の李さんがしてくれる。
タクシーの車種はベンツで、エアコンがガンガンにききまくる。
空港から首都のクアラルンプールまでは、渋滞にはまりながら、
私はつたない英語で李さんと会話。

李さんは、マレーシア生まれの華人で、お父さんは仏教徒のシャーマンをしていたということ。
運転席側のパワーウインドーは、高速に乗るときよく使いから、
壊れてしまったとか、あれがイスラム教のテンプルだとか、
話せたけど、さすがに1時間も会話がもたない。

このときはまだ、「ああ、こんな英語で失礼にならないかな?」
「正しい英語を話さないといけない」とかなり硬い感じだった。
ああああ、どうしてもっと勉強しておかなかったんだ、、、、、!と後悔する車内。

日が暮れ、クアラルンプールのツインタワーが綺麗にライトアップされる。
私のホテルは、チャイナタウンのど真ん中の、
なんかだデンジャラスな雰囲気の場所だった。
(注:デラックスではなくデンジャラスね)

ホテルのまえには、果物を売った露天がならび、
屋台がのきをつらねる。
ホテルの部屋に荷物を置いてから、夜ゴハンを食べに街に出た。

「ホンモノ、ロレックス!」と時計屋にあんちゃんが声をかけてくる。歩いていると、確実に日本人だとバレる。

何故だ!荷物は軽装で、一見、中国人のあんちゃんにしか見えないはずなのに。
とよくよく考えれば、私の肌の色が問題のようでした。
つまり、白い!
曇りのおおい北陸にいれば普通でも、赤道近くの国でこんな肌をした現地人の男がいるはずがない。
東洋系の旅行者、ということで
日本人という推理にもとに相手は日本語で話しかけてくるのです。

ハイ!大正解です。

さて、飯はどこで食べようかと歩いていると、西洋人が何人か食べている中華の店があったので、私もそこで食べることに。

いかにも現地の人しかいないという店は入りにくかったなー
そこで、蛙の肉の麺料理みたいなものがあったので、注文した。
やってきたのは、見た目思いっきり焼きそばみたいな料理。
入っていた肉は、なんかエビっぽい。
だけど、無事に食べることができた。
帰りにセブンイレブンがあったので、
青島ビールとおつまみを買って部屋に戻る。
もうこの日は、不安でしょうがなかった。
旅行にきたことを確実に後悔していた。
チャイナタウンの雰囲気が、弱った体に堪えたのです。
なんだかここのホテルに受付の女性は、無愛想だし。
テレビをつけると、ブルースリーが演じていたグリーンホーネットというドラマの2がやっていた。

主人公の男が、日本人の博士を助けるというシーンがあったのですが、

「大丈夫ですか、博士!」
「私は大丈夫だ、早くここを出よう!」

と日本語で会話しているのに驚いた。
しかも、日本語で会話しているのに、現地語の字幕がでない。
この主人公、マレー人に話しかけるときはマレー語を話すし、
アクションをすると凄い身体能力だ。
何カ国語も操れて、しかも強いなんて、、、、、
なんて凄いんだ、グリーンホーネットと思いながら眠りについた。
こうやって無事にホテルで寝ることができたから、よしとしよう、、、と

思った。

マレーシア2日目、コタキナバルクエスト

4/1

ブレイクファーストは食べられない。
昨日、眠りについた時にはそう思った。あの無愛想な受付嬢に、たどたどしい英語で朝食のことを聞くことを思えば、朝飯ヌキのほうがマシ。

しかし、朝5時に目を覚ますと、(これは緊張しすぎて早起きになったみたいです)なんだか
そういう考えは消えていた。
あの無愛想な受付嬢に英語で聞いてやるぜ、という気分が出てきた。

そうしていると、電話がなった。
「ハロー」と出ると、ホテルのスタッフらしき男性からで、
「ブレイクファーストがあるからロビーにおりてきたまえ、OK?」とわかりやすい英語で言ってくれるではないか。
「OK!サンキュー」と答えて、ロビーに降りていき、食堂に入ると
親切な女性が、受付にいって券をもらってきてくださいと、教えてくれた。

受付のスタッフは、昨日の夜とは全員変わっていて、
「ああ、はいはい、これねー」と昨日チエックインしたときに渡された部屋の番号を書いた紙を再発行してくれた。
どうやら食券じゃなくて、この部屋番号の紙がいるらしい。
とにかく、それをウエイトレスの方に渡して、朝飯にありつくことができた。
いいね、昨日の夜は朝飯抜きだと絶望していたけど、こうやって食べることが
できた、幸先いいんじゃない?とご機嫌になった。
食べた物は、おかゆとトマトとマンゴーのようなもの。
とくにトマトは、「なぜメキシコ人はハゲないし、死なないのか」でもクローズアップされていた元気の源に食材。

これから予想される空港での試練に耐えられるように、沢山食べた。
(追加:ちなみに日記には、「a lot of 食べたよ、meは」と書いてあったのですが、
あまりにも寒いので沢山食べたに校正しました(今考えるとトシカズ君の英語勉強しておけばよかった、という思いには涙がでます))

ううん、こいつは朝から景気がいいや!の気分でホテルから出ると、昨日ホテルまで送ってくれた李おじさんが待っていてくれた。

ベンツタクシーに乗りこみレッツゴー。
今日のベンツの車内は昨日にも増してエアコンが効いている。
エアコンディショナーから白い気流が見えるほど効きまくっている。車のなかでは、昨日テレビでグリーンホーネットがやっていた話や、やっぱり中華はおいしいですね、という話をする。
そして、空港に到着、握手をして別れた。
空港に入る、なーに飛行機にのるシステムは日本と同じだろうと思ったが、

まずどこのカウンターに並べばいいのかわかない。
そこでインフォメーションセンターのお姉さんに
「エクスキューズミー、I don`t know カウンター」といって、
航空券を見せると、「これはBカウンターですよ」といって、
微笑みながら教えてくれた。
「サンキュー!」と言ってカウンターに向かう。
気づいたぞ!

そうだ、エクスキュズミーとプリーズ、そしてサンキューと愛想のいい態度さえ
あれば私のほぼ単語で構成される原始人Englishでも許されるのだ。
というか許して欲しい!。
私も外人が笑顔で「すいませんが、おまえ、教えろ」と言われたら許す。
人間はどちらかと言えば、言葉の内容よりも、その人の表情や態度を優先して受け取るものだ。

いかにもバカにしきった顔つきで、「尊敬しています」と言ったり、憎しみに満ちた目で、「愛しています」と言っても信じてもらえないもんね。
(追加:あとから思えば、私がこの旅で一番活用した言語は
ボディランゲージだった。笑顔で聞くとあちらも笑顔になった、
感謝の念を持って人に接すると相手に
軽くあしらわれたり、怪訝な顔をされることもなかった。
使った英語を振り返れば、ほとんど単語だけで、かなり失礼な物言いのはずだったんだけどね。この時の発見は間違っていなかったみたです)

ちょっと時間があったから、日本でこの旅に備えて作ってきたシティバンクのカードを使った。
提携ATMにドキドキしながらカードを入れて、暗証番号を押すと、
おおおっ、RMが!RMが!私が日本で預けたお金が
リンギット(マレーシアのお金)になって出てきたのです!
これって、両替する手間もいらないしかなりいいんじゃない?!
もしかして、これは買えるときにリンギットを預金していくと、円になって口座に戻るってこと?!世界中どこにいっても同じことができるのか!?

凄い、シティバンク万歳だ!引き下ろしの手数料が無料になるには
ある程度の金額を預けないといけないんだけど、がんばって維持しようと心から思えた。北國銀行ではこうはいくまい!
おろしたてのリンギットをサイフにいれて、無事飛行機に乗る。

そして、2時間後、いよいよコタキナバル国際空港についた。
飛行機から降りると、まず出口がわからない。
いかにも出口そうなところは、どうも入り口のようだ。
あれが出口ならどうして手荷物検査のカウンターがあるのだろうか。
というわけで、私は探した、出口を求めて、、、、、

そしてついに発見した、それらしいものがある!
階段をおりて
「ああ、出口だ、、、、」と歩いていく、
と横から警備員の方が
「NO、なんとかかんとか」
ええっ?!ダメなのか!出たい、私は空港から出たいのだ。
パスポートを提示したり、航空券を見せ、
out of エアポート!と思いつくままの英語と身振り手振りで意思を伝える。
いやだ、映画「ターミナル」みたいになりたくない!
というか此処はなんだ?どういう空港なんだ?かなりパニックになってきた。

そうこうしていると、警備員のおじちゃんが
「ほら、階段を上って右に行きなさい」と言ってくれたような気がした。
私の場合、英語を聞いても必ず
「~~~~かもしれない」がつく。

謎々を聞いているような気分になる。
で、階段を昇っていき、またうろうろしたら、別の出口らしきものが!
うーん、オレにもドラゴンクエストなんていらない。

空港でこれだけ迷えて、冒険できるんだもの。
青い顔でそう思った。
空港から無事に脱出してタクシーに乗る。
地球の歩き方の地図を見せて、センターポイントというショッピングセンターのあたりまで乗せてもらうことにした。

タクシーの運ちゃんらしき、サングラスの方は値段も告げずに
「ついておいで」と車まで歩いていく。
私は「あの、、、ハウマッチ?」と聞くと
「20RM(600円)」とのこと。
聞いてから気がついたのですが、高いか安いかの相場もわからないのです。
ふーん、って思ってお終いでした。
それから軽自動車みたいな車に乗る。

空港から街まではけっこう離れていた。歩けるかな?とちょっと思っていたが、それを実行しなくてよかった。タクシーから降りると、ドアが半ドアになったので閉め直すと、おじさんが笑顔になった。

いよいよコタキナバルです。

マレーシア2日目 日本の天然青年隊、酔っぱらってジャンプバック

車から出た第一印象は「暑い」

それに独特な匂いがする。
日本語のインターネットが使える店があると聞いていたので入ったのですが、荷物の重さと人混みに負けて出てくる。
ホテルにチエックインして荷物を預けてからにしよう。

それにボルネオの女王に挨拶に行こう!
(この方はネットで知り合った現地の方で、観光局に勤めている心強い御方なのです)

日本を出るときは極力、自分の力でなんでもしようと思っていたけど、ここ数日、じつはゴハンを食べても戻していたり、
想像を絶するほど私の
英語はお陀仏だと思い知った私には助けが必要だ。

日本語スピーカーで、しかも英語もマレー語も解する女王は頼もしいことこのうえないのです。

それにもうフラフラで精神的にちょっとキツくなってきた。
ホテルにチエックインした私は女王のいる観光局まで歩いた。
何度か迷った末に、たどりつき、玄関にいる愛想のいい男の人に
「May I have 女王」というと、ちょっと待ってと言われて、
読んできてくれた。

ちなみに、「May I have 女王」は「私は女王が欲しい」という意味だったらしい。
これを聞いて、「May I have」の使い方についてよく考えるようになった。

そして、女王と初対面。
ばりばりのキャリアウーマンみたいなタイプでちょっと怖い人かと思った
けど、話しやすい人でよかった。正直ほっとした。
もっと年上の方かと思ったけど、お若い方だ!
オフィスに案内され、これまでの艱難辛苦の数々を話す。
まじで精神科のカウンセリングを受けているような気分になった。
女王には、日本語のパソコンを貸してもらったり、ラサリアリゾートの予約をいれてもらったり、観光のアドバイスをしてもらったりした。

そうこうしているうちに、女王の勤務時間が終わったので、お茶でもしましょうということになりました。

日本語を勉強しているメリッサさんと女王、私の3人で観光局の近くのお店でお茶をする。
メリッサさんは、すごく性格のいい子だった。

私はつたない英語と女王のお力を借りて、趣味のことや、日本のこと、結婚のこと、家のことなどを話した。

メリッサさんが日本語を勉強しているというので、私も簡単な言葉を選んで日本語で話しかける。

「私の 街には 雪が 降っています」とか

「コタキナバルは とても暖かいです」とか

区切って話していたら、

女王にも
「これは とても おいしいですね」と日本語が不自由な人に
話しかけるように話してしまった。大笑い。
メリッサさんの日本語力と、私の英語力はどうやら同じくらいで、
私が英語で、メリッサさんが日本語で話すと、
もうなんだか笑えてしょうがなかった。

女王が写真を送ってくれたので、小さく掲載。

「えーと、あのー、うーん、なんていえばいいのかなー」と
膠着状態の会話。

「あっひゃっひゃっ、何言っているのかわかんねー」

そうやって話していると、今日は職場の上司のお別れパーティがあるのでこないか?と誘われたので、これは行くしかないと行きます行きますと返事。

じつはこのあと、トイレで吐いたくらい体調が悪かったのだけど、
これは行くしかない、倒れても行こう。外国で飲み会にでるなんて機会、そうそうあるもんじゃない!

というワケで、女王の職場の方の車に乗せてもらい酒場へ。
イスラム教国家のマレーシアに酒場があるとは思わなかったのですが、ここボルネオ島はキリスト教やネイティブマレーシアが強いので酒場が普通にあるそうです。

パーティに行くと、さすがに私は壁の花。
もう不安で女王の側から離れられない忠犬状態。
しかし、少しづつマレーシアの美味しいビール、タイガービールで
酔っぱらってくると緊張がほどけてきた。
変わり者のシステムエンジニアの方とビリヤードをしたり(ボロ負けだった)
女王の力を借りながら、すこしづついろんな人と話せるようになった。

しかし、女王は話すきっかけは作ってくれるのですが、話が始まると獅子の親子のように私を英語の千尋の谷に
落とすかのようにあっちに行ってしまうのです。

しかも、何回か通訳してもらっていると、
あるとき、話している人の言葉もわからなければ、女王の言っていることもわからないという理解不能な状態になった。
なぜだ、女王が何を言っているのかぜんぜんわからん!
あとで女王に聞くと、
英語をマレー語に翻訳して
私に話しかけていたそうです。

わっ、わかるわけなかろうがー!

かなり頭が痛くなってきましたが、そうこうしている内に
なんか話が合う人がいた。
ポーリンさんという女性はなんとヨガをしているそうで、やはり共通点があると意思の疎通が速い!

私に蓮華座が組めるか?と聞いてきたので、

「組めますよー、そこどころかこんなこともできるよー」

と蓮華座を組んで、両手を床について体を浮かすというウプルティというポーズをして見せると、凄く驚いていた。

おおっ、なんてナイスなリアクションと私は酔った勢いで、そこから蓮華座を組んだ

まま倒立して戻るという動作を見せると、何故か皆さんの前でやるハメになった。

真ん中でヨガの動作をする私、、、、、ああ、調子に乗りすぎた、、、、、


(べろべろに酔っぱらって、ジャンプバック

今思い出しても恥ずかしい、、、、、、、酒はいかんですマジで。

それから、次に話せたのはウエブデザイナーとデザイナーの方。
デザイナーのメルビンさんは、なんとマックユーザーらしく、
新型のインテルマックのことについて話した。
ウエブデザイナーのジャコブさんとメルビルさんの名刺をもらった。
やっぱり共通の話題がある人は話しやすい!
メリッサさんが、上司の女性の方にスピーチとそして写真のプレゼント。
上司の方も涙を流し、メリッサさんも涙を流している。
いい送別会です。不思議な感じです。
まるで日本の飲み会に参加しているかのような感覚。

このとき、私は外国だとか文化だとかいろいろと違うけど、やっぱり同じ人間なんだな、すごく理解できるなー、と心から思えました。
それからしばらく一人でぼーっと座っていると、メリッサさんが気をつかって隣に座ってくれた。ううん、いい子だ。私のメチャクチャの英語を聞くのは頭痛いはずなのに。

それにしても、今夜ほど英語がもっとできるようになりたいと思った夜はなかった。
なんだか、メリッサさんの趣味が写真で、後日、私の写真も撮ってみたいと言ってくれたんですが、
その日程の相談が私のつたない英語ではぜんぜんできなかった、結局それっきり会えなかった。メリッサさんにはちゃんとしたフィアンセがいるので、どうのこうの考えたわけではないですが、いい友達にはなれると思ったんですけどねー

あと、明日の夜ディスコに行こうと誘ってくれた方もいたけど、それもなんだか英語が上手くいかず、あやふやなままでさよなら。

ポーリンさんも、ヨガを一緒にしようと言ってくれたような気がするんだけど、その話もそれっきり。
(いま思えばお、おれ、マレーシアでモテモテだった??)

ああ、やっぱり英語だ、、、、それにしてもマレーシアの
人は多民族国家だけあって、英語が喋れる人が多い!
職場のなかにも、頭にスカーフを巻いたムスリムの人がいたり、
マレーシアの原住民の方がいたりと、かなり民族が多種多様。
こんな環境に生まれたら、いやでも国際人になりますね。
9時30分ごろになり、さすがに体力の限界になったので皆さんとお別れ。

本当に皆さん、フレンドリーな方ばかりだった。
言葉が通じないので、なおさらそのフレンドリーな感覚がわかる。
完全燃焼な夜、本当にいい人たちに会えた日だった。

 

 

マレーシア3日目 一人で南の島にいくという暴挙

 

朝を起きてもしばらくゴロゴロしていた。
軽く二日酔いで、なんだか憂鬱。
午前中は寝て過ごし、昼飯は泊まっているホテルハイアットの
1Fにある和食レストランで食べる。

緊張している。
昨日、女王と会い、日本語でべらべらと喋ったせいか英語が怖い。
ゴハンもいまだに合わない。
微妙な味のいなりうどん定食を食べて、部屋に戻ると
やっぱり一日ゴロゴロして過ごすのは、もったいない気がしてきた。
よく考えればマヌカン島に行くのは今日しかない(後にそれが間違いだとわかる)
マヌカン島は、珊瑚礁があって魚が沢山
泳いでいる南国らしい島だそうで、
かなり楽しみ。
バックを持ってホテルの近くにあるフェリー乗り場まで歩く。
暑い!さすがに炎天下のなか歩くと汗がだらだらでてくる。
歩いているうちに、やっぱり今日は軽く乗り場だけでも見ておいて
今度にしようと思っていたのですが、
フェリー乗り場の入り口付近にたっていた愛想のいい、
いかにも海の男風のアンチャンに
「どこに行くの?」と聞かれ、
咄嗟に
「I want to マヌカン アイランド」と答えてしまう。
やっぱり行こう。
そうすると、手続きをするカウンターを指差さて、
そこに行きなさいと言う。
「ダイジョウブデスヨー」と日本語で言われた。
うん、やっぱり日本人だってバレるんだよね。

そういえば、日本語で話しかけてくる外国人は怪しめと、
地球の歩き方に書いてあったな、、、、、なんて思っていたけど、
結局、この人は私にカウンターを教えても、
一銭の徳にもならないことが
判明し、本当にただの気のいい海の男だったことがわかる。

あまり思い出したくないたどたどしい英語で、
マヌカン島に行く乗客リストに名前をつらねる。
フェリーは乗客が7人集まると出発する方式で、時刻表なんかは
とくにない。私は椅子に座って待つことに。
そうしていると、スキンヘッドの白人が私と同じカウンターで
手続きをして、私の側の椅子に座った。
どうも、この白人さんも同じフェリーを待っている
みたいだ。私は乗客が集まるのを待ちながら、この日記を書いた。
ちらっと横を見ると、スキンヘッドの白人さんは読書をしている。
かなり容貌は恐ろしい、サングラスをかけているので
目つきはわからないし、
デカイし、なによりも白人だ。
おもいっきり外国人という感じ!
しかし、不思議なことに人種が違うことに対する違和感を感じない。

この旅では日本にいるときに抱えていた、そういう偏見がすこしづつ溶けていっているのです。

たとえば初日に泊まった中華街で夜食を食べているとき、
お金の支払い方がわからずに困っていると、
すこし離れたところに座っていた白人のおじさんと
目が合ったのですが、

それがとても優しい目で、まるで私に
「大変だね、でも安心しな」と言っているような感じがしました。
白人=怖い!という江戸人感覚の私が、そう解釈するのです。
「アホなやつめ」と思われていると、解釈したほうが
偏見というフィルターを通して世界をみる脳的には筋が通っているにもかかわらず。

日本にいるときの2倍は、周囲を観察している。
あまりにも頼りにならない英語を使っている私は、
この旅ではよく人の顔を見て、意思を読みとろうと
するようになりました。というかならざる得ない。
日本にいるときは、自分の感情の前に壁のように言葉があって、
あまり感情を表現したり、または相手の感情を読みとる努力もせずに、言葉だけを聞いてコミュニケーションしていたような気がします。
しかし、ここでは言葉がまったく無力なので、感情だけが頼り。
相手の言葉というよりも、相手の顔やしぐさを
本当によく見るようになった。

そこで発見したのは、どうしてこんなに人種も風習も違う人たちが
身近に感じるのだろうかということです。
日本人、マレー人、中国人、白人、黒人、黄色人
というナニナニ人という前に人間だ、という
あたりまえのことが実感できたのです。
だから、まあ言葉が通じなくても変に誤解されたり、困ったりすることはないだろうと思いました。
ほら、相手は本を読んでいるし、
スキンヘッドだけどそんな危険人物ではなかろう、と思ったのです。

そうこう思っていると、係の人に呼ばれて立ち上がりました。
となりの白人さんも同時に立ち上がり、列に向かおうとしたので、
手をだして、お先にどうぞのジェスチャーをしました。
手続きをするにせよ、会話にせよ、私の後ろなんかに並んだら、確実にイライラすること受けあいです。
そうすると、その白人さんが話しかけてきました。
「キミは日本人なのか?」と聞いてきたので、
そうですよー、と答えると、
なんとその白人さんは、日本からマレーシアに帰ってきたばかりだということで、サイフから電車に乗るときに使う
スイカカードを見せてくれました。

なんだか気さくなやつじゃないか!サングラスをとれば、草食動物系の大人しい顔の人じゃないか!
一気に安心した私もたどたどしい英語で話しかける。
なんでも、神奈川で働いていたそうで、
富士通の子会社に行っていたそうです。
システムエンジニアで、なかでもモバイルの互換性に
関するシステムを組んでいる
というところが奇跡的に理解できた。
というか、私にわかる簡単な英語で話してくれる。
この人は頭いい人だな。
相手の英語力を咄嗟に読みとって、
相手にわかるようなレベルに落として話し、
それが相手にちゃんと通じるって、けっこう凄い事だと思う。

そうこうしているうちに受付の順番になったのですが、
受付のあんちゃんに何を言われているのかわからない私を助けて
手続きをしてくれました。
私の旅はさまざまなところで親切な人に助けられて動いています。
だれだ?
渡る世間は鬼ばかりなんて言ったのは?
白人さんに、「アーユーfrom」と聞くとフランスだと答えた。
おお、フランスといえばリュックベッソン。
私は「レオン」が好きで、あれはいい映画だねーというと、
白人さんは、そうだろうと満更でもなさそうな顔だ。
同じフェリーにのり、20分ほどで最初の島についた。

残念ながら、白人さんとは行く島が別なので船から下りるときに
サヨナラした。
同じ船に乗っていた中華系の夫婦もいい人だった。
私が誤解していた帰りの船の時刻を教えてくれて、島で会うと笑顔で手を振ってくれる。ううん、なんだろうか、
この会う人がことごとく、いい人。
なんだろうか、これは?と疑問に感じるほどだった。

マヌカン島ではスノーケリングの道具をレンタルして泳ぎました。
残念ながら空が曇っているので、水の透明度がいまいち。
でも、生まれて初めて珊瑚礁を見た。
ファインディングニモで有名なカクレクマノミも見れた。
あと、テリトリーに入るとアタックしてくる魚がいた。

やろうかなり強気だな、と思っていると
足や腹を魚に噛まれる。
大きな魚がゆっくり泳いでいたので、後をつけた。
珊瑚のうえにくると珊瑚の色に体の色がかわり、
砂の上にいくと砂の色にかわる。
凄いシステムの体の持ち主だ。

珊瑚の横には、でかいウニみたいのが沢山ころがっていて、
その上を泳ぐと、なぜか体がチクチクした。

たぶん、なにかを出しているのだろう。
2時間ほど泳ぎ、無事にフェリーに乗りホテルにつくと、
もうクタクタだった。

あまりにも疲れて、外に食事に行く気にもならない。
そこで日本から持ってきた「柿の種」という8袋入りのお菓子を
4袋だけ食べた。
半分は、明日会うカヌーガイドの坂本さんへのお土産に残しておこう。
本当は8袋全部あげる予定だったのだけど、まあ許してくれるだろう。
それからはベットに横になっていた。

ろくなものを食べていない上に、疲れているにで気分が塞いでくる。
昨日の晩が楽しかっただけに、その落差になおさら寂しくなる。

これも旅かな、、、、なんと思った。

まあ、こういうときはヨガでもして気分転換しよう。
太陽礼拝をして、たくさん息を吸いこみ、吐きだす。

Aパターン、Bパターンをすると気分がすっきりした。
(太陽礼拝AとBのことみたいです)

おおっ、やるじゃないかヨガ、行けるぞ!行動できるぞ!
と私は夜の散歩に出た。
(ほんと劇的に効きました。曇っていた身体の中に
太陽が戻ってきたような感じでした)

町中を歩き回り、露天でマンゴーを買い、セブンイレブンで買い物をし、インターネットの店でメールを打ったり、更新したりした。
ホテルに帰ると、セブンイレブンで買ったトマト味のポテトチップスとピスタチオを肴に、一人でビールを飲む。
まあ、いい日だったじゃないか。
夕方すこし気が塞いだけど、ヒッキーにならずにお散歩もできたしね。ショーンコネリーの007がテレビでやっていたので、それを見ながら寝た。

マレーシア4日目 ジャングルを川下り

今日はハイアットのチエックアウトの日。
一流ホテルのハイアットだけあってクーラー効きまくりで、
トイレが流れなくて困るということはなかった。
ショッピングセンターに隣接していて、インターネットの店と
セブンイレブンも近い。なぜ、日本でホテルを予約したとき、
一カ所にずっといるという計画にしなかったのか?と
荷物をまとめながら思う。
ここのホテルから、1キロくらいしか離れていない
ホテルに移動する意味って何?と考える。

そういえば、日本にいるときは、

「コタキナバルについた初日と翌日は、いいところに泊まろう。
そこから先はきっと馴れているだろうから、少し安いところにしよう」

と考えたっけ。
今から移動するペルジャヤホテルが一泊4800円くらい
とハイアットの半額。
滞在が9日と長いので、あんまりいいホテルに
泊まりまくるわけにはいかない。
結局、ホテルなんて寝るだけだし。
でも、こういうホテルの移動って時間が勿体ないんだよね。
荷物をまとめ終わったら、日本から持ってきた
リリーフランキーの「東京タワー」を読む。
この本、感動的で面白い本なのだが、旅先で読むものではない。
やたらとホームシックになってくる。

11時にチエックアウトして、タクシーでセンターポイントまで移動。
「地球の歩き方」には、このショッピングセンターに
日本語が使えるインターネットの店があるとの情報。
3階だ、とかなりアバウトな情報を頼りにうろつくと、
たしかにインターネットの店があるが、3軒もある。

ためしに一軒に入り、「日本語が使えるPCはある?」と
英語で聞いたつもりが、
「ここには日本人はいません」と言われた。
でかい荷物を持って、たどたどしい英語というのは
かなり目立つらしく、客の視線が一斉に私に集まる。
「に、日本人はいないの?ああそう」と店を出る。
や、やめた、、、、もうインターネットはいい(泣)

と一軒目で挫折。いいや、またローマ字で更新すればいい、
それにネットサーフィンは問題なく日本語のサイトも見れるし。
と自分を慰めて、とりあえずゴハンを食べることにした。

店はきまっていた。
日本食レストラン「川奈」

また日本食なのか?と呆れる声が聞こえるけど、
もうなんていうか、日本食が恋しくてしょうがないのです。
ほら、昨日の夜は結局、柿の種、ポテトチップス、ピスタチオ、ビールという、まったく栄養なさそうな組み合わせだったし
、ここらで一つ、お腹一杯和食を食べたいのです。

で、川奈でチラシ寿司を食べる。
うまい、、、、死ぬほど旨く感じる。この刺身、酢飯、みそ汁は
かなり日本度が高い。昨日のハイアットで食べた
微妙ないなりうどんとは違うぞ。

マレーシアにきて、初めておいしいものを食べたような気がした。
マレーシアの人たちは親切でいいのだけど、どうも飯が合わない。
それに、地元の人が入るような店は、とくに中華はおいしそうな匂いがしているのだけど、注文の仕方や精算の仕方がわからず、

どうも敷居が高いのです。
しかし、マレーシアにまできて、毎食和食かスナック菓子って、
おれの体はどんだけ鎖国的なんだって話ですね。
川奈の店内には、日本人のおじさんおばさんが6人くらいで
鍋を囲んでいました。
その会話が漏れて聞こえる。

「わしがやってやった」「あいつはバカだ」「努力が足りない」
「わしらのころはな、、、」「一生懸命さがないんだよ」

頭の固いおっさんが、憤慨しながらゴハンを食べている。
なぜ、ゴハンを食べながら、そんな鬱陶しい話をするのか?
と気になる。
そのおじさんは、マレー人のウエイトレスさんに

「おい、なんかソバみたいなもんはないのか?」

と大声の日本語で聞く。
すごい傲慢な感じ。
なんだかとても恥ずかしいモノを見てしまった。
コタキナバルに住んでいる人なのか、旅行者なのか知らないけど、
恥ずかしい人だ。

ゴハンを食べ終わって、今日のホテルペルジャヤにチエックイン。
ここではデポジットでお金を渡して欲しいといわれ、意味が
わからず受付の人に「what デポジット?」と聞きまくる。
whatを連発して、やっと理解できた、
どうやら保証金のようなものらしい。
チエックアウトするときに、返還されると聞いて安心した。
鍵をうけとり、部屋に入ると殺虫剤の匂いがする。
エアコンは、霧ヶ峰みたいな家庭用のやつが一台設置されていて、
なるほどやっぱりハイアットの半額だ、と納得。
それから、ベットが二つある。

これ、夜寝るときなんだか誰もいないはずのベットに
誰かがいるような感じがして嫌だったなー
それから、今日は女王とカヌーガイドの坂本さん、それから日本から仕事できている方と4人でカヌーに行く日なのです。

待ち合わせ場所に行くと、女王が私を発見。
女王はインド系の女の人のような白い服をきている。
南国らしいですねー

坂本さんの運転するミニバンの後ろに乗り込むと、
日本から仕事できているNさんが座っていた。
日本から仕事ときくと、ばりばりの七三の
サラリーマンのおっさんだろうと勝手に思いこみ、
ああ、そんな人と何を話せばいいのだろう?と
あらぬ悩みをしたが、Nさんは、私をほぼ同年代で、しかもNGOを主催している方。
なんでも今回はボルネオの奥地に高校生20人をホームスティさせるというプログラムの引率で、コタキナバルに来たそうです。

ううん、凄い人だ。とはいっても、温厚な方で腰が低く、よく笑う人でまったく偉そうなところがない。
能ある鷹は爪を隠すといいますが、そんな感じです。
日本に帰ってNさんのホームページをみて、初めて、
あれー、こんな凄いことしている人なんだーって知ったくらいです。

車でバジャウ族の水上集落に向かう。
そこからカヌーで、河口を海に向かって下るわけです。
途中、坂本さんがドリアンを買ってくれた。
道沿いのココナツを売っている露店みたいなところで、
ココナツのゼリーとドリアンを食べる。
ココナツゼリーはさっぱりとしておいしい。
私的には、トウモロコシの風味に近い味に感じた。

それから、ドリアン。
ドリアンはかなり堅い皮に覆われていて、
坂本さんは鉈みたいな包丁で、切り目をいれて割っていた。
大きな殻のわりに中身は少ない。
食べられる部分を計れば、ドリアンはやっぱり高級なフルーツだ。
これは、かなり変わったフルーツで、お酒と一緒に食べると
かなり危険らしい。

それだけじゃなくて、沢山食べるのもマズイらしい。
私の斜め前に座っていたロイヤルファミリーの方が、
たくさん食べすぎて、翌日、声が枯れたという経験談を語っていました(笑)そんな、フルーツらしからぬ副作用のある食べ物なのです。

しかも、当たりはずれがあり、当たりのドリアンを食べると
やみつきになるけど、はずれに当たると食べる気がしないという
ギャンブルの要素もあるそうです。

あとは、強烈な匂いがするという話ですが、
これはいまでも不思議なのですが、匂いはしませんでした。
別に普通。腐ったような匂いがするのかと思ったんですが、
まったく匂いは記憶に残りません。

考えたくないのですが、
私の体臭がつねにドリアン臭で、自分の匂いと
同じだから匂わなかった、
という悪夢のような可能性も
あるのですが、お風呂好きの私はそんなことないと思う。

そう信じたい。
で、食べてみました。

おいしいような、、、、ううん、、、微妙、、、、、、、
たとえようのない味。
あえていうなら、ドリアンの味。
それしか書きようがないです。
私達が食べたドリアンはあたりの部類に入ったらしく、
まったりとした食感でした。

しかし、人間、まったく初めての味に遭遇すると、
警戒心丸出しになり、美味しいのか美味しくないのか
わからないものです。
そういえば、アボガドを最初に食べたときもこんな風に思考停止
状態に陥った覚えがあります。
何個か食べていくうちに、アボガドのおいしさがわかってくる。
もう一回ドリアン食べてみたいな、と思わせるものはありました。

それから、パジャウ族の水上集落に移動。
水の上に家があるなんてどうしてだろう?!と
見たときはすごい疑問だったが、それが
文化で漁が仕事の民族だと考えると納得できた。
職場まで通勤時間ゼロだ。
このツーリングのお手伝いをしてくれる
おじいさんの家で自家焙煎のコーヒーをいただく。
甘くて美味しい!
しかし、このおじいさん、子供の頃から漁一筋で、
歯が全部ないのですが、65歳とは思えないくらい
体は筋肉に覆われています。背筋が伸びて、まるで
現役のアスリート。坂本さんの話によると、足腰が強靭なのも
凄いけど、なによりも凄いのは反射神経とバランス力だそうです。
ううん、こんなおじいさん見たことない。
家のなかには、テレビがあり、水上集落のなかにテレビというのは
かなり驚いた。
みんな放映されているコメディに夢中。

それから、2人乗りのカヌーの基本的な操作を習って船出。
私と女王のペアで、Nさんと坂本さんがペアになった。

最初は行きたい方角と反対に進むという感じでした。

ちょっと小降りの雨が降ってきましたが、
カヌーで水の上に浮くと、なんともいえないのんびり感と
開放感があってよかったなー
いろいろな話をしたり、ビールを飲んだりお菓子を食べたり
しながら河口を下る。

4人で本当にいろいろな話をした。
マングローブの種がゆらゆらと流れてきたり、
鳥が鳴いたり飛んだり。

水のなかを小さいウミヘビがゆらゆら泳いだり、ほんとうにのんびりとした楽しい時間でした。

そうこうしているうちに、日が暮れて月明かりの下、カヌーは進む。

蛍の沢山いる木があって、そこで蛍を眺める。
綺麗だ。
蛍って、いいな。私が日本で蛍をみたのは、幼いころ。
家の近所にもいたのに今はもういない。
日が暮れた森からは、パチパチという音が聞こえる。
坂本さんがいうには、あれはエビがハサミを閉じる音とのこと。
自然って不思議だ。
どうして蛍はあんなに光るんだろうね、、と話した。

「そういえば哺乳類で光るやつは
いませんよね」

と坂本さんが言ってので、
私は咄嗟に言ってはいけないことが頭に浮かんだ。

「人間も歳をとって、禿げれば光りますよ」

と言ってしまった。
静かな森がさらに静まりかえったような気がした。
誰もつっこんでくれない。
本当にみんなひいていた。
これも旅の思い出ですかねえ、、、、、、、、

蛍を観賞してから、おじさんの迎えの船で集落に戻る。
おじさんが、女王に「あんたとなら14番目の子供もつくれる」
と口説いていた。
いいねー、ワイルドな65歳!
日本に帰ったら、私も使ってみたいと思ったが、
グーで殴られそうなのでやめる。
この川下りは、ほんとうに快適で楽しかった。

メンバーにも恵まれました。
書いていなかったのですが、気候もよかった。
熱帯のはずが、あんまり虫もいないし、涼しい。
マレーシア、本当に気候がいいなー、とつくづく思います。
リタイヤしてマレーシアに移住する人がいるというのもわかる話だ。
治安もいいしねー。

それから、海鮮の中華の店で食事。
もうここのエビのボイルがおいしかったー

もうマジで、書いててまた食べたくなるほどおいしかった。
みんなでお話をしながら食べる。
みなさん、本当にいろんなことを知っている。
話を聞いていたら、タイにも行きたくなってきた。

私の前にある皿のエビがおいしかった。なんというか、半生のボイルなのですが、それを醤油のようなものにつけて食べると、もう旨いんですよ!

ご飯を食べると、Nさんと私をホテルまで送迎してくれた。
途中、Nさんのホテルの近くにあるお店でビールを飲む。
坂本さんから、マレーシアの裏情報を聞く。
マレーシアには、かなり不健全なカラオケ屋と床屋がある
ことを知った。
しかし、何故、カラオケが?いや、不健全な床屋って?
イスラム教国家にそういういかがわしいお店があるというのは
驚き。それにしても何故、床屋なんだ?

それにしても、今日は本当に充実した一日だった。
楽しすぎてすぐには眠れなかった。

 

 

マレーシア5日目 ホームシックにかかるの巻

昨日眠りについたのが3時すぎ、当然のごとく寝不足の状態で起きる。

さて、今日は何をしようか?とぼけーっとした頭で考えながら、
ホテルの食堂で朝食を食べる。
そういえば、コタキナバルの観光がまだだった。
泊まっているホテルの近くにイスラム教の博物館があるので、
そこまで歩いて行こう、と決めた。
もし、そこで「おおっ、すごいぞイスラム教」と思えば、サバ州の
州立モスクにまで行こうと、さらに計画。
今日は晴天。ホテルを出て、坂を下っているとじりじりと太陽が
体を焼くようだ。ううん、暑い。暑い、、、、これは水を買わないといけない、と近くのショッピングセンターに入る。

10時すぎで、テナントは開店したばかりのようだ。
ここにインターネットの店はないのか?と歩き回るがなかった。
そのかわり、Appleの取り扱い店があって感激。
雑貨屋でペットボトルに入った水を買い込む。
サイフをみると、50RM札しかない!
けっこう大きなお金なので、出すと顰蹙をかうとわかりつつも、
Sorryと出す。お店の方々が、しょうがないねーという感じでレジをみるが開店したばかりでおつりがないみたい。
女の子3人できりもりしている雑貨屋だったが、彼女たちは
自分のサイフをみたりいろいろとおつりを探すがない!
結局、一人の店員さんが他の店に走っていった。
なんて申し訳ないんだ、、、、、とレジのまえでたたずむ私は、

「いやー、申し訳ない、、、、、それにしても今日は暑いね」

と白々しい会話を絡めて、謝ると、レジの横に置いてあった
アニメの書かれたテッシュを一袋くれた。
いや、別になにか要求していたわけじゃないんだよー
それにしても親切だ、、、、、、さらに申し訳ない!
女の子が、走って帰ってきて、両替して私におつりを渡してくれた。
wow! thank you very much!を連発して、店を出た。
うう、申し訳ない。マレーシアを旅行するなら10RMを沢山もっていたほうがいいとつくづく思いました。

それから、ボルネオの女王に貰った地図を片手に博物館を目指す。
ショッピングセンターから出ると、すぐそこに銀行があったのですが、現金輸送の最中だったらしく、ライフルを持った警備員が立っていた。

海外って感じがしました。かなりの威圧感。
地図を片手に歩くのですが、いまいち方向感覚が掴めない。
大きな道を歩いていくと、なんだかどんどん寂しい方向に向かう。
戻って、十字路でまた地図をもって悩む。
それにしても暑い、、、、、ふらふらしてきた。
簡単に行けるはずなのに、結局右往左往しただけでぐったりしてくる。
やっぱり睡眠不足だ、、、、、よし、やめた!博物館なんてもともと興味ないよ!とふらふらしながら思い、センターポイントの方まで歩いた。昼飯を食べよう、、、、とまた

和食「川奈」に足が向かっている。

また川奈なのか、、、、、、と自分で呆れる。
とことこと歩く、暑いけど水を飲みながら歩くと、なんとかなる。
30分ほど歩いて、川奈のまえについた。

いいや、やっぱりダメだ、、、、、、今日は違うところで食べよう。
と毅然とした足取りで川奈を後にする。

そうすると、インド料理のレストランが近くにあったので、
そこに入った。ウエイターに注文を聞かれるも、当然の如く、
わからない。コントのようなやりとりをして、
「ベジタリアンランチ」なるものを注文できた。
ミディアムとか聞かれたので、ミディアムを注文。
いったい、ミディアムとはなんだろうか?肉なら、ミディアムレアで焼いてくれと注文することもあるだろうが、ベジタリアンランチでなにがミディアムなのか、、、、?と考えていると、

家族連れが入ってきた。

日本人だ!遠くの席だけど、ウエイターの人が私のときを同じようにごっつい困っている。ふふふふ、と思っていると、ランチがきた。

インディカ米というのだろうか、ぱさぱさしたお米にカレーをかけて食べる。ナンみたいなものもついていて、いろいろな種類のカレーにつけて食べるようだ。

ううん、結局何がミディアムだったのか判らずじまい。
食べた結論は、やっぱりインドに行かなくてよかった。
これが毎日だと思うと耐えられないと思う。
日本で毎日カレーなら耐えられるけど、インドの環境で毎日カレーは耐えられない、、、、、食べ物と環境はとても重要だ。

タクシーでホテルに帰って昼寝。
今日はどこにも観光しない、、、、こんな日があってもいい。
起きると、水着に着替えて、ホテルのプールで泳ぐ。
外にあるプールで、横は森で鳥の鳴き声がきこえる。
いい環境にあるプールだ。
泳ぎまくってから、また部屋に。
ああ、なんだか昨日が楽しかっただけに、あまりの落差に
部屋に戻ると寂しくなってくる。
晩飯を食べないといけない。けど、食べに行く気になれない。
おおっと、またでた。旅行中は、気分の落差が激しいな、、、、、

夜の町をとぼとぼと歩いて、センターポイントというショッピング
センターに入った。で、いろいろな店をみて回ったのですが、
結局入ったのは、マクドナルド!
日本ではまず食べないであろうマクドナルドを食べる理由、それは
たぶんにフランチャイズだから注文スタイルは一緒だろう。
ってくらいかな。フィッシュマックセットを注文し、
コーラとポテトとハンバーガーを食べる。
うううん、まずい、、、、、、、これはやばいぞ。
おれは弱っている、、、、、すごく日本に帰りたい。
ホテルまでとぼとぼと歩いて帰る。
これも旅行ですかねー、、、、、と思いながら寝た。

マレーシア6日目 リゾートホテルに一人でとまる

朝飯を食べて、部屋に戻った私は、うーんと唸った。
今日は女王とランチをする日。
カヌーで別れるとき「じゃあ、ホテルに連絡するから」
と言っていた女王ですが、連絡がない、、、、、、
ううん、これはどうしたことか?
今は10時すぎ、もうすぐでチエックアウトの時間だ。
ホテルに連絡するといっても、私がチエックアウトしてしまったら
連絡のとりようもない。

そして、私はホテルからでると電話をかけられない。
というのも、街の公衆電話はカード式?らしく、仕組みがよく
理解できないのです。電話をかけるなら、ホテルからかける
のが一番てっとり早い。
どうして連絡がないのか?理由はよくわかないけど、
ちょっとこっちから電話をかけてみますか。
女王の都合が悪いなら、また今度にすればいいわけだし。
とホテルの「9」番の外線を押し、女王の携帯の番号を押す。
すると、「ハロー」と女王がでた。
いろいろあったらしい。

なんでもペルジャヤに電話をかけて、トシカズはいますか?と
聞いても、「そんな奴はいない、でもカオリさんならお泊まりです」みたいに他の日本人を紹介され、しかたなくメッセージを残したらしいのです。

そうこうしているうちに、携帯電話のプリペイドが
切れて、受信専用になったそうで。しかたなくメールで
連絡が取れない旨を書いて送ったそうです。
それだけじゃなくて、
なんと私から私が電話をかける前に、
女王の携帯に電話がかかってきたそうです。
「ハロー」と女王がでると
「もしもし、女王さんでしょうか?」と私みたいな声。
「あっ、電話かけられたんだー、
よかったねー」
と電話を使えたことを褒める女王。
そういえばカヌーのとき、私はマレーシアの電話は使えませんヨーと言っていたような気がする。
すると、相手は
「あのー、女王さまでしょうか?」
ちょっと戸惑い気味の声。
「そうだよ、ワタシ!ワタシ!」
と女王。
すると私みたいな声の方は、
「ナントカ観光局の○○と申しますが、じつはお仕事のお願いで」
仕事の依頼をしだした。
ここに至って、ようやく別人と気がついた女王は、
目から火花が出るほど驚き、
かなり苦しい弁解を繰り返し、謝りまくったという。
それにしても似た声の人がいるものだ、と女王は言った。
ナントカ観光局の方も、かなりビビっただろう。
仕事の依頼をしようと電話をかけると、
いきなり「電話かけられたんだー」と子供扱い。
この人が本当に女王なのか?いや、きっと別人だろう?と
と思い、「女王さんでしょうか?」と再度確認すると、
「そうだよ!ワタシだよ!ワタシ」とめっちゃハイテンション。
ああ、やっぱりこの変な人なのか、、、、、、、ボルネオ島に住む
日本人はこんな風になってしまうのか、
先が思いやられるとカルチャーショックを受けつつ、
自己紹介すると、女王が死ぬほど驚くのでまたビックリという。
コントみたいなことがあったそうです。

お城に招待してくれるとのことなので、住所を聞いてタクシーにのる。
ああ、きっとランチはまともなものが食べられるし、
日本語で女王と話せる、、、、、そして、
写真でしか見たことのなかった花子とサニーに会える、と
かなり嬉しかった。
タクシーで迷いつつ到着すると、女王、サニー君と花子ちゃんが
歓迎してくれた。
サニー君はほんとうに人なつっこい!
花子ちゃんは、私を警戒してうううううっと唸り気味。
女王にお茶をごちそうになり、しばらく話す。
それから、サニー君と花子ちゃんにノミが大発生しているという
のでとってあげることに。
二頭とも、これでもかこれでもかとノミがいる。
たぶん人間だったら発狂しているレベルの数だ。
爪をつかってボロボロととる。
私を警戒していた花子ちゃんも、私がノミをとってくれる人だと
気がつくと、大人しく横向きで寝た。
足をもたれたり、耳を触られたりするのは結構嫌ははずなのに、
じっとしている。エライ!日本でお留守番しているリク君とは
大違いだ。これで私と花子は仲良しのはず。
と思っていると、起きあがった花子ちゃんに顔面を甘噛みされた。
愛情表現だよね、、、?かなりワイルドな。
この花子ちゃん、近寄ってきて私の手を舐めたりするので、
撫でてやると、うううっと唸るという
「ワタシはワタシのやり方でアンタを扱うの!」みたいな
自己主張があるようで面白い。サニー君は、脳天気でわかりやすい。

それから女王宅でパソコンを貸してもらい、メールや掲示板に
書き込み。やっぱりいい、日本語が使えるPCって最高、と充実。
女王宅の本棚から、本を2冊貰う。やっぱり日本語の本ですぜ、
えっへっへ、と嬉しくなる。
それにしても女王のお城はステキだ。タイル貼りの涼しい感じのお宅で広々としているし、しかも庭つき。こういうの見たら、
日本で高いローンを組んで家を建てる気なくすよな、、、と
大工ながら思った。
近くの中華食堂で昼飯。
ああ、昨日の晩はマックでした、、、、って感じでラーメンを
美味しく食べる。ガチョウの肉入りで、最高においしい。
肉についていた骨を使い終わった皿に入れようか迷うと、
テーブルに置きなさいと女王。
一度口に入れたものを食べ物を盛る皿に入れるのは、汚いという
ことです。華人のマナーだとそうなる、ということなので、テーブルに骨を置く私。それから、麺は音をたててすすらない。お椀に直接口をつけてスープを飲まないというルールを教えてもらいました。
ああ、そうか、麺をすすってもOKというマナーの文化って
少ないんだな。
それにしてもおいしいランチだった。
こういうローカルな店に一人で入れたら、私の食生活はだいぶん
ましなものになったはずなのにな、と思った。
やつれた男、おいしいラーメンの前で微笑む
それから、バス停までおくってもらって握手してお別れ。
女王!本当にお世話になりました!

ほんと、コタキナバルでの日々は充実していました!
お別れして、バスでコタキナバルまで行き、

そこから車で1時間ほど離れたラサリアリゾート
までタクシーで移動。
このタクシーがちょっと失敗で、白タクに乗ってしまった。
通常80RMでつくところが、110RMかかった。
それならまだいいが、この白タクのアンチャン、ラサリアリゾートの場所を知らないらしく、迷いまくる。
あげくの果てには、どっかのゴルフ場を「ここがラサリアだ」と
私を下ろそうとした。
「そんなわけねえだろ?ここはゴルフ場だろ?大丈夫なのか?」
とちょっと腹がたって言う。
そんなやりとりがありながら、無事に?ラサリアリゾートにつく。
いや、やっぱりタクシーは正規のものに乗らないといけないと身を
もって体感しました。

ラサリアでのチエックインは、Nさんという日本人のスタッフに
やってもらえた。この方、女王のお友達で本が好きだというので、
読み終わった「東京タワー」をプレゼントした。
その日は、明日のアクティビティの予約を自分でする。

このリゾートには、以前からやりたいと
思っていた乗馬があった、しかもビーチを走るというステキな
シュチエーション。これだ、と思い受付へ。

行く前にはしっかりと「セインカミユの使える旅英会話」を
熟読していった。
私は2時間の乗馬を希望していたのですが、受付の人が
はじめての乗馬なら1時間のコースにしたほうがいい、きっと
腰痛になるというので、1時間で予約。

この旅で一番意思の疎通がスムーズにできたのが、この予約だった
ような気がする。
そのついでに、トラベラーズチエックの両替もした。
夜はインド料理のレストランで晩飯。
ビュッフェスタイルで、いろんなカレーとナンが食べ放題。

とくにエビ入りのカレーが絶品で、食べまくる。
テーブルのサービスをしてくれたマレー人の女の子が
とても愛想のいい子で、ちょっと話す。
日本語でのお別れの挨拶をしっているとその子は言い、
「おやすみなさい」と言われて、私もおやすみなさいといって店を出た。

部屋に戻って、女王宅からもってきた本を読む。

一つは「ボルネオホテル」

これはホラーだった。現場がかなり近いホラーを一人の部屋で読みというのは昨日に引き続き、不眠の原因になりそうだったので、

もう一冊の真保祐一の「取引」を読む。
そういえば、女王。

ここのリゾートの寮に泊まった日本人男子から、泣き声の電話が
かかったきたことがあるって言っていたな、、、、、

<女王!幽霊です!、、、歌が聞こえるんですよ!もう嫌です!>

という電話だったらしい。誰かがどっかで歌っているんじゃないの?と
女王がいうと、おおおおんん、そんなんじゃないんですよ、、いやだ!いやだー!と大変な様子だったそうです。

「ふふふふふふ」

部屋で一人、なんだか笑えてきた。怖くなってきたのだ。
女王様よう、なんで、そんな話を今からまさに泊まりに
行こうとする私に話すのか、、!

たしかに面白い話だったけど、ああ、と売店に行き
タイガービールを2本買ってきて飲み、寝た。
歌は聞こえなかった、快適なエアコンのなかで朝寝坊するほど
眠った。

マレーシア7日目 チンパンジーと馬に癒されるの巻

朝7時30分から太極拳をする予定だった。
リゾートのアクティビィティの一つで、
インド料理屋のまえのココナツの木と芝生のうえで、
海を眺めながら太極拳って、メニューが無料であるのです。
異国人たちに混じって、はじめての太極拳で朝の目覚めという
のがいかにもリゾートらしくてよかった。
いいじゃん、これ、ユーやっちゃいなよ、とメニューを見たときに
フォースが囁いたのです。
しかし、、、

そう、今日は太極拳をする予定だったのです。
だった、というのは、昨日あおったタイガービールが効いたのか
目が覚めると8時30分。寝坊した!勿体ない!
まあ、いい。よく考えると、初日のチャイナタウンのホテルでは
緊張しすぎて5時に目が覚めたっけ。
リラックスしてきたということだろうか。
それにしても、この「シャングリラ・ラサリア・リゾート」は
ホテルじゃなくてリゾート、あたりまえだけど開放感が違う。
海にココナツの木に芝生にプール、、、、、
それにゴハンも美味しいし
日本語が使えるインターネットまである。
問題は、宿泊費や食事代がバカ高いことくらいだ、、、、、
客層は白人が一番多いような気がする。
朝ゴハンを食べて、ベランダの椅子に座って読書。
鳥がおおいので、ちゅんちゅんと雀のような声が聞こえる。
とおもったら、日本でみかける雀と同じやつが沢山飛んでいた。
9時30分から、ラサリアリゾートの敷地のなかにある

オラウータン保護センターの餌付けを見に行く。
予約してあるのだけど、人気のあるイベントらしく、受付に列が
できる。そこに並んでいると、
「あのー、これはいったい何でしょうか?」
と日本人のご夫婦に話しかけられる。
何故だ?なぜ一発で私が日本人だとわかる?
と疑問を覚えながらオラウータンの餌付けが見られることを説明。
「はあ、そうなんですか、今からジョインできますかね、、、」
とご婦人。うーん、どうでしょうか、予約がいるイベントですから、でも聞いてみたらどうでしょうか?といろいろ話す。
なんでも、ご夫妻はシンガポール在住らしい。
日本語にジョイン?という私に理解不能な英語がまじるので、
なんだこの人はと思っていたらそういうことか。
それにしても、何故私が日本人であるとわかったのですか?
と聞いてみると、
「さあ、日本人同士、なにか通じ合うものがあるのかもしれませんよ」
と言っていました。そんなもんでしょうかね、、、、
でも、たしかに
コタキナバルでも、明らかに日本人というのは私が見てもわかった。
生活習慣や食べる物が近いので、どっか似てくるのだろうか?
受付に聞いてみると、なんとかご夫婦の参加はOKだった。
20人くらいの参加者で、すこし山の中を歩き、
オラウータンの餌付けポイントに行く。

きた、オラウータンがやってきた。
係の人からエサをもらったり、葉っぱを食べたり、
リラックスしまくりだ。
驚いたのは、オラウータンががさがさっと木から落ちまくること。
体重を支えきれない細い枝にぶら下がろうとするのが原因で、
猿も木から落ちるどころの話ではなく落ちるのです。
「オウーノー」と白人が映画みたいなリアクションで驚き、
写真をとっていた。
木から落ちたあとのオラウータンは、ショックを受けるわけでもなく、ぽけーっとした顔で空を眺めて、また木に登る。仲間にちょっかいを出したり、また木から落ちたり。係員の足にしがみついたり。

仰向けになって、だらーっと寝ころんで惚けたり。
とにかく自由なやつらでした。
こんな風に人間も生きられたら幸せだろうな、、と思ったりしました。

オラウータンを見終わると、昼飯を食べて昼寝。
それから、昨日自分で予約した乗馬に行く。
行く前は、「おれの拙い英語で乗馬の説明を聞き取れるだろうか?」と
戦々恐々という感じでしたが、私以外の参加者がおらず
係員のマレー人おじさんとのマンツーマンであることが判明して、
胸をなで下ろしました。
「おれ、あんまり英語話せないですけど、OK?」と英語で言うと、
マレー人のおじさんが、
「OK!OK!me too」とおれもだよと冗談をいうので、
かなり気楽になった。
馬に乗るのは長年の夢、というほどではないけど、
ああ、いいなー、と思っていたいつかやりたかったこと。
まず、馬に触るのが楽しみ。
海辺にある厩舎に行くと、馬がスタンバイされていて、
馬の名前を聞くと、アラビアンのメルリアということだった。
触った感覚は、ちょっとびっくりするぐらい人肌。
柔らかさといい、体温といい、なんだか人間みたいだ!
私が馬に乗ると、マレー人のおじさんが別の馬に乗って先導してくれる。
海岸をポクポクと歩く。なんてのんびりした感じなんだ。
馬は歩いているなら、あんまり揺れない。
ああ、こんな感じで旅できたら面白いだろうな、、、なんて
思いました。
行きはおじさんの馬に先導されて、歩いたが帰りは私が歩かせて
帰るというプラグラム。
私が綱を握り、走れと合図する。
これがまたぜんぜん言うことを聞かない。
おじさんが、「シーシー」と言ったり、私がかるーくお腹を蹴ると、しぶしぶ歩き出す。
この馬、水たまりがあると濡れるのが嫌だからと立ち止まる、そのくせ海の方、海の方に進むという、けっこう複雑な性格をした奴だった。
後半、ときおり何を思ったのか駆け足をしてみせる。
そのときの揺れはけっこうなものだった。
走る馬の背で弓を射るという流鏑馬は凄いことなんだと
初めて知った。

海岸を馬で歩いていると、白人のご夫妻が手を振ってくれた。
1時間の乗馬が終わると、ご婦人が話しかけてきた。
「楽しかった?」とか「あなたカウボーイみたいだったよ」
とか、まるで孫にでも話しかけるような優しい笑顔。
いい人だ、、、、いままで白人というとなんだか怖いなーと
思っていたけど、いい人が大半なんだろう。
白人、黒人、黄色人、たしかにいろいろな問題があるし、差別は
存在しているかもしれないけど、いい人はいい人、悪い人は悪い人
なんだろうと思った。それにしても、もどかしい!
もっと英語を勉強しておけばよかった。
そうすれば、もっと皆さんと話せたのに。
日本に帰ったら、絶対に英語を勉強しようと決意。
白人のご夫妻は、私に声をかけ終えると、手をつないで歩いていった。
素敵な人生を歩いているんだろうな、、、と思った。

昨日と同じインド料理屋で、カレーとナンを食べ放題して、
その晩もビールを飲み、熟睡。
明日はクアラルンプールに移動の日だ。

 

マレーシア8日目 さよならコタキナバル

さて、ラサリアリゾートでリラックスしたトシカズ君。
いったい、どんな心境でコタキナバルを後にしたんでしょうか。
と日記を見直してみると、
<ああ、ようやく明日になれば日本に帰れる。>
とかなり日本に帰りたいという気持ちが全面に押し出ています。
もうクアラルンプールになんて行かずに、そのまま帰りたい。
やりたいこともないし、見たいものもない、
というのが正直なところだった。
あとはおみやげを買うくらいかな。
航空券をとるのがギリギリになったということもあるのですが、
旅にでるまえは、コタキナバルからクアラルンプール行って
遊んでから日本に帰る予定だったのです。

唯一の誤算は、クアラルンプール国際空港から街まで
車で1時間も離れているということ。
ああ、どうして直行便にしなかったのか、と後悔しました。

それにしてもコタキナバルでは我ながらよくやったじゃないか。
現地の人の飲み会にも参加できたし、マヌカン島で泳ぐことも
できた。カヌーでマングローブの森を見たり、
オラウータンも見れた、馬にも乗れた。
途中、ホームシックでぐったりした日もあったけど、
それも含めていい旅だった。
というわけで、なんだか旅行が終わった感がある。
日本に帰ってから、まずリクの散歩だ。
それに死ぬほど読書したい。
という思いを胸に荷物を担ぎ、チエックアウトしに
受付まで行った。
たまたま、チエックインのときお世話になったNさんと会う。
コタキナバルの街に行くチケットをとってもらい、精算。
ええと、あれー?あれー?
日本円にしたら2日で4万4千円くらい。
さ、さすがリゾート、、、、うすうすこんな感じになるとは
思っていたけど、やっぱりこうか!
日本に帰ると、禁欲の日々が待っている予感をひしひしと感じた。
まあ、たしかに部屋のベットは小錦、
曙が並んで寝られるくらい広かったし、エアコンはガラスが曇るくらい効きまくる。景色は抜群で言うことナシだった。
ちょっと私にはオーバークオリティだったかな。

バスに乗り、センターポイントというショッピングセンターで
降りる。すこし飛行機のフライトまで時間があるので、
ウルディマムルディカというショッピングセンターまで歩いた。
何度も何度も利用したインターネットの店やセブンイレブンを
撮影。途中でVCDの「スピリッツ」という映画を買う。500円くらい
だった。日本ではまだ映画が公開しているのに、格安で販売して
いるのは嬉しい。ちなみに、これは日本に帰ってからDVDプレイヤーに入れたら見られた。思いっきり中国語で、マレー語字幕という感じだったけど。
それからタクシーにのる空港へ。
マレーシア航空のチケットの販売所、空港の入り口、ほかのカウンターと3回も間違えたあげくに、ようやく入港。
ユニクロで買った布のベルトは金属探知器に引っかからなくていいね。
日本で使っていた革ベルトは、いちいち引っかかり、そのたびに
ベルトを外さないといけないかった。
明日もこのベルトで行こう。
これでサヨナラだ、コタキナバル。
思えばあっという間だった。
途中、辛いこともあったけど、時間が立てばきっと楽しい思い出しか残らないのだろうな。
それから、飛行機に乗ろうとゲートに行ったら、
係の人に「ナンタラカンラ」と搭乗と拒否される。
これには焦った。
一体、何が?ととにかくインフォメーションに行った。
もしかしたら、搭乗口が変わっているのかもしれない。
そうすると、「イグミレーション?」みたいなことを言われて、
入ってくるときに見たカウンターを指さされる。
そこにチケットを見せると、ペタンとハンコを押された。
よし、これで大丈夫。
まったくヒヤヒヤさせやがって。
このコタキナバル空港は行きも帰りも、あんまりいい思い出がない。

飛行機に乗ると、なんだか人口密度がすごく高く感じる。
というのも、となりに巨大な白人がちいさいシートに体を
縮めるようにして乗っているし、すこし離れた席に華人の
一行ががやがやと修学旅行のように乗っている。
華人の一行のなかには、「no sex on the beach」
とデカデカと書かれたTシャツを着ている人がいた。
凄いセンスだ、、、、、堂々と着て歩くのは勇気なんだろうか?
2時間の長いフライトが終わると、
ようやくクアラルンプールについた。
飛行機から降りるとき、華人のおじさんに「お先にどうぞ」と通路を譲ると、「いやいや、アンチャンが先におりなさい」「いや、どうぞ」「いやいや、キミだ先だ」と譲り合い合戦になる。
結局私が折れて、サンキューを連発してさっさと降りた。
日本独特の奥ゆかしい譲り合いの文化、みたいなキャッチコピーを
読んだことがあるので、ちょっとビックリ。
クアラルンプール国際空港につくと、いろいろな人に聞いて、
今日の宿である「コンコルドイン」への連絡バスがあることを
知り、無事にチエックイン。
それにしても、ここは本当に周りになんにもない。
収容施設か?と勘ぐりたくなるほどだ。
唯一、空港から近いのが利点。
部屋にはバスタブがなかったし、エアコンからは水がダバダバでた。

しかし、ここのスタッフは本当に礼儀正しい人が多かった。
やっぱりそれが一番ですね。
ホテルにチエックインして、落ち着いたのが3時頃。
無理をすれば空港に戻り、タクシーか電車でクアラルンプールに
出ることも出来そうだけど、ベットに横になるともう動きたく
なくなっていた。歯を食いしばって観光なんてするべきじゃないと
部屋でヨガしたり、フロントにあったPCでネットをしてすごす。
夜ゴハンを食べて、部屋の冷蔵庫をみるとタイガービールが
あったのでそれを飲む。
マレーシアではタイガービールにお世話になった。
ちなみに、売店にはビールが売っていない。
部屋の天井には、メッカの方角がスプレーされていて、
イスラム教が強いクアラルンプールらしいなーと思いながら寝た。

 

 帰国

さて、今日はいよいよ帰国の日。
クアラルンプール11時発の飛行機なので、早めに起きて
朝食を食べて、ホテルのバスで空港に向かう。
バスは空港行きの客で溢れて座れなかった。
しかたなく、天井近くを掴んでバスの揺れに耐えていたが、
急カーブを曲がるときに、すぽっと手が滑り、前にたっていた男性の頭にチョップしてしまう。
もちろん、謝りまくったさ。あはは。
温厚な人で助かった、、、、、、、

空港に行き、何事もなくカウンターに荷物を預ける。
今更ながらだけど馴れてきた。
さて、私の残された仕事はただ一つ。
おみやげを買うことだけ。
免税店みたいのが沢山あったけど、どうせマレーシアに来たのだからマレーシアらしいものをお土産にしたい。
「Malaysia」と書かれているそれっぽい店にいくと、
「ドリアン」の絵が書かれたお菓子が目に飛びこんだ。
これだ、マレーシアといえばこれだ。
たぶん、かなりマズイと思うけど、ドリアン風味のチョコレートを
買い込む。あと、ドリアンクッキーも。
ありきたりなお土産ではつまらないじゃないですか。
もしも「なんだこれ?変な味!」と絶句されたとしても、
それが旅行ってやつさ。
食べた人も旅行気分を味わえるお土産、
やっぱりドリアンしかありません。
よしよし、みなさんに配るやつはドリアンで統一。
と確固たる信念で買い込む。
それから、出国前、宿を提供してくれて世話になった弟。
「お土産買ってくるからな」と大見得をきった手前、
ドリアンのチョコレートだけってのも気が引ける。
なにかこう、いいものがないだろうか?
ドリアン以上のインパクトを与える何か。
と空港内の店を歩き回って、発見した。
サソリの標本。
こんな危険な生き物がマレーシアにいたのか!
なんてインパクトのあるお土産だろうか。
これ、、、、いいかもしれない。ほら、男の子ってこういう
カブトムシとか好きだから、とおばちゃん的な心境で
いいね、いいね、と眺めまくる。
値段も手頃だ、、、、、買おう。
とそれを手に持ち、近くで眺めて思う。
「気持ち悪いな、この虫」
いいじゃん、すごいインパクトだよ!これ!と大騒ぎしている
心のなかのパーティの最中、それを壁にもたれかかり孤独に
眺めるニヒルな男のように、「それ、気持ち悪いからやめなよ」と
忠告してくるものがある。
たしかに、最初のインパクトは凄いだろう。これに勝るものは
そうそうあるまい。たぶん、北海道に行って来た友達から、
デカイ木彫りのクマを渡されるほどのインパクトがあるだろう。
しかし、そのインパクトが去ってしまったら、そこにはただ「怖い」「キモイ」虫の標本が残るのです。
考えてごらん。
と最近読んだ、クリシィナムルティの決めぜりふのように自分に問い、サソリを置いた。さらば、サソリよ、さらばだ。と
未練を断ち切って、その場を去る。
そして、次に目に入ったのは、ガラスのなかに
マレーシアでよく見かける花を閉じこめた置物。
おおっ、これいいかもしれない。大きさも手頃だし、なによりも綺麗だ。ん?いろんなパターンがあるんだな、、、、と見てみると
あ、、、これは、、、、、綺麗な色のカナブンが花の匂いをかいでいる置物がある。死んだ虫をガラスの中に閉じこめて、それを
観賞するなんて悪趣味なんて考えかたもあるだろうけど、
これは綺麗だ。気にいった。
と同じようなやつを二つ買った。
弟に一つ、あと家に一つ置いておこう。

買い物が終わり、ゲートをくぐって待合室に入る。
いろんな国の人がパスポートと航空券を提示して、
控え室に入ってくる。それを眺めていると、
インド人みたいな人が、赤い日本のパスポートらしき
ものを提示しているではありませんか!
おお、もしやインド系日本人?と思ったが、
違った。どうやら赤いパスポートは日本だけではないらしい。
そういえば、黒とか赤が多いような気がする。
どこかの国で虹色のカラフルな背表紙のパスポートを発行
しないだろうかと思った。
いよいよ日本に帰国となると、なんだか嫌になる。
日本はなんだか決まり事が多い国のような気がして
息が詰まる。
ちょっと自分の偏見を披露させてもらうなら、
これがそうです!という一般常識というものが
国全体を支配しているように思う。
そういえば、帰国してから「地獄におちるわよ」
の細木数子さんの番組をみたけど、
はたして、マレーシアのように沢山の民族、異なる宗教の
国で同じことが言えるのかな?と思った。
先祖供養が大切、墓を白い手ぬぐい綺麗にふきなさい
というけれど、水上集落に住んでいた
パジャウ族の人はふくべき墓石がないし(墓にあたる木々がある)
奥さんを5人まで持てるムスリムの人生相談に乗ったりできる
のだろうかと思った。
あと、ニートやひきこもりのニュースを見るのですが、
それも巨力な基準があるという問題から
派生したモノではなかろうかとも思う。
たった一つしかないモノサシで人生をはかれば、そこからはみ出した人たちは歩くことが出来なくなる。歩く気を無くし、基準に満たない自分が恥ずかしくなる、生きる気力を無くし、自分の価値を見失い、部屋に閉じこもる。
難しいけど、価値観から自由になれないもんだろうかと思う。
しかし、基準から外れて生きるには、
日本は立ち止まれないし、立ち直りにくい場所なんだろうなーとも
思うのです。
けっしてマレーシアが
地面に座ってぼけーっとしていられる場所だいうことではないけど。
でも、30をすぎた女は負け犬だと言われ、年収が少ないと下流階級。上流階級のセレブの成功談が毎日テレビを賑わし、CMでは消費者金融がバカ高い金利をとるくせに「ご利用は計画的に」と言い
上下黒のトレーナー姿だけどバッグは
ルイビトンの娘がペタペタと歩き。
ブランド崇拝が蔓延し、買い物の衝動は全国を覆っているのです。
30年もかかる重い借金を当然のごとくしてマイホームを買い、
ローンと家族のため、サービス残業ウエルカムで会社に滅私奉公。
でもリストラされたらオレどうなるの?
その不安が現実化したときに、中年の死因の第一位が自殺の先進国ができあがってくるのかと勝手に想像。
マレーシアでは決してそんなことがないかと言えば、
なんとも言えない。
わからない、たかだか9日間、しかもホテルに泊まり観光した
だけで、現地の人の使うマレー語はおろか英語も最低という私です。
しかし、日本を完全に離れて、他国でふらふらしていて
初めて見える日本の姿ってのもあるように思います。
とかなり偉そうなことを書きましたね。
ふっふっふ、たった9日で日本が見える気になるのが
バカの真骨頂なのですよ。
と変に悟った私は、機内食を食べ、映画をみて、
チェスのゲームにはまって日本についたのです。
飛行機をおりて、税関に向かうときの第一印象は、
「さ、寒い!」
私はワイシャツ一丁で、ジャンバーは手荷物として預けてあるのです。
私の後ろにいた女の人二人が、コートを着ながらも
「寒いねー」「寒いねー」と言い合っていたが、
前を歩く私の真に寒そうな姿を見ると、不自然に会話が止んだ。
い、いや、違うんだ、手荷物をとってだねー
そしてバックのなかからジャンバーを取り出せば
日本モードの私になるんだねーと
心のなかで弁解しまくった。
それから移動。
東京駅まで電車で移動。1時間20分。
それから八重洲の地下街の杵屋でうどんを食べながら

一人で乾杯。やっぱり日本食旨いわ。
それから高速バスに乗って金沢へ。
知らなかったけど、最近の高速バスはトイレつきで、しかも
席と席がくっついていない。けっこう快適な乗り物でした。
朝の7時10分で金沢到着。
飛行機6時間、電車1時間半、高速バス7時間という
連続移動を経験した私は疲労困憊。
このスケジュールは寿命を縮めるなー、

家につくと、リクは朝の散歩に行っていた。
茶の間に座ってぼーっとしていると、リクが散歩がから帰ってきた。
私はだまーっと座っていたのですが、私の脱いだ靴を発見した
リクは襖を壊さんばかりの勢いで走ってきて感動のご対面。
なんでもリクさん、私が旅にでた次の日は元気がなくて
ゴハンも食べなかったそうです。
おまえも苦労したんだねー、と頭を撫でてやってから、
部屋に行って眠るだけ眠った。
こんな感じでマレーシア旅行は終わりました。

 

 

 

 

 


Category: 家族

- 2015年2月16日

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