「なんちゃってサマディレベル2」ヴィッパサナー瞑想2010京都9日目

9日目はいろいろあった。

またあのよくわからないサマディっぽいのを体験。
家に帰って、「ブッダの実践心理学」を調べていたら、
私が体験したものは「近行定」というもので、

<サマディにほぼ近い状態です。しかし、サマディではありません。欲界の心が育てたられた状態なのです。普通の心なのですが育てられている。サマディ状態のように落ち着いている心を持っている心。でも、それはまだ欲界心です。サマディのあたりを歩いている心です>

とある。

たしかに、そんな感じ。
あきらかに普通の集中状態ではないけれど、
これがサマディかと言われれば、なんだかそれほどでもない。

8日目に私が入ったのは、そんな状態ですが4日目に体験した
「なんちゃってサマディ」よりもさらに深い状態でした。
ヴィッパサナー瞑想で、体の部分を一つ一つ、感じていくということを丁寧にやってから、次に体を全体を一気に感じてみようと、
意識の持ち方を変えたら、そこから入りました。

自分の集中力の中に、どっぷり入ったみたいな感覚。
体が不動になって、完全にバランスがとれてつりあっている。
体の感覚がほとんど無い。
右肩を意識してみますが、そこに感覚が無い。
<体>という大きな塊があるだけで、
まともな感覚として残っているのは聴覚だけ。
ここはまったく正常。
心はほぼストップ。
さっきまでヴィッパサナー瞑想で出てきていた
サンカーラ(潜在印象)が一つもでてこない。
嫌悪も欲望もなにもない状態で落ち着いています。
心境的には、なんにもない。
ほんとうになんにもない。
印象はそんな感じ。

私という感覚は剥ぎ取られて、ただ「認識している」という
働きだけがある。
ほとんどすべてがストップしていて、体の感覚はほぼないので、
とても「楽」。
意識不明になっているわけではなく、「認識」だけの私ともいえない私の状態。

この状態は、たぶん10分くらい続いた。
何かが落ちていくように、だんだんと体の感覚が戻り、
足の痛み、体の感覚の変化、そして、心の動きが戻っていく。

4日目は、はじめてだったのでかなりビックリしたのですが、
8日目はかなり冷静に分析できました。

あっと思ったのは、
自我について。

あの深い瞑想の中に、「自我」という感覚がなかった。
ただ認識する機能だけがあった。
なんでそうなったのかと考えると、それは嫌悪と欲望がストップしていたから。

自我というのは、もしかしてただの「好き」「嫌い」が集ったものでしかないのか?
考えてみれば、「好き」「嫌い」を抜きにした自我というのは考えられない。

あの人は個性的というとき、
とても好き嫌いがハッキリしていることをさしています。

私という自我は膨大な「嫌悪」「欲望」のリスト。
純粋な認識は、その膨大な重荷を背負っている。

なぜ、クリシュナムルティさんの知性があれほど優れているのかというのは、推測ですが、あの方はほとんど自我がない。
「嫌悪」にも「欲望」にも汚されていな純粋な認識の光が
物事の本質をさっと照らすのです。

この「嫌悪」「欲望」を支えているのは、「無知」。
「無知」という広い舞台で、「嫌悪」と「欲望」という役者が
「自我」というタイトルの劇を演じている、というイメージ。

「智慧」の正体がなんとなく理解できました。
これは「嫌悪」「欲望」「無知」という重荷を背負っていない
自由な認識力のことでもあると思います。

よく考えれば、人の智慧は一定していません。

私がもし「欲望」を叶えるためにいろいろ考えたら、
その思考には智慧が無い。
目先の利益しか考えない、自分のことしか考えないものになるでしょう。

他人の相談には冷静で的確な答えがだせる人も、
自分の問題となると、さまざまな嫌悪と欲望がまざるので、
とたんに智慧がなくなる。

智慧を開発するには、瞑想でさまざまな煩悩を倒してしまうのが
一番だと思いました。

自我を無くす、、、というと禁欲的でつまらない人生のようですが、どんなことにも好き嫌いという感情がなく、なんのしがらみもなく軽やかに生きることができるなぁ、と憧れすら感じます。

それにしても、サマディ系のことはいろいろな条件に左右されるらしく、この日以降、1回もこういう状態にはならなかったです。

で、この体験で何か変わったのか?というと、
なんにも変わりなしです。
そのあとの夕方のティータイムで、リンゴを食べたいと思ったら、
すこししかなかったのですが、
ある人をみると、リンゴを半分くらい持って行って食べている!
「ずるい!」とそれでイラっとしました。
餌を求めるチンパンジーと変わりない怒り。

あくまでもサマディ、、というのは心を集中する技術のようなもので、その最中は一時的に煩悩がストップするから穏やかだけど、現実に戻ると、元の木阿弥という感じかと思います。
サマディよりも浄化力をもつヴィッパサナーを重視するのは、
そういうこともあるのかもしれない。

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Category: ヴィパッサナー瞑想リトリート体験記

- 2015年2月16日

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