食えなんだ食うな

日本のお坊さんに違和感を感じている。
本来出家とは、家を出て、家族を持たず、僧侶の戒律を守り、修行する人のことを言う。
東南アジアのテーラワーダ仏教では、今でもこの出家僧がちゃんと存在していて、それは珍しいことではない。

しかし、日本のお坊さんは、家族を持ち、酒やタバコを嗜み、在家者のための基本的な戒律も守っている人も少ない。

私は酒もタバコもやらず、ほぼヴィーガンであって、内心「そこらへんの日本の坊さんよりも戒律を守って生きている」という傲慢な気持ちがある。

だから、結婚してセックスをし子供を持ち、袈裟を着て、葬儀を営む日本のお坊さんと、私とでは一体何が違うの?という気分になる。
所詮、他業種を営むただの俗人、おれと同類じゃないか、と思うのだ。

日本のお坊さんの書いた本で、心から凄いと思える本は少ない。
ウ・ジョーティカ師の「自由への旅」のような偉大な書籍を生み出す力は、今の日本仏教会には無い。

でも、昔には偉い人、本当の僧侶がいたのだ。
この「食えなんだら食うな」の関 大徹老師は、まさに私が逆立ちして鼻血をだしてもまったく及びもつかない高い境地にある本当にお坊様だ。

食えなんだら食うな
食えなんだら食うな
posted with amazlet at 19.07.13
関 大徹
ごま書房新社
売り上げランキング: 101

この「食えなんだら食うな」は関大徹老師が書いたエッセーのような本だけど、読みやすいながらも、背を正されるような滋味にあふれている。

明治36年(1903年)生まれで、70歳の時の著作である。

冒頭で関大徹老師はこう書かれている。

<ことし、70歳になる、ムカシ人間である。いやムカシ坊さんといったほうがいいかもしれぬ。
人から見ると、どうも化石のような生き方をしているらしい。
面とむかって、そのような顔をされる。
それも普通の人ならいい。
同じ仲間の坊さんにまで、そういう対応を受ける。
実際に、口に出して、いまどき珍しいといって、チョンマゲを結った化け物が出てきたような目付きをされる。
珍しい、といっても、別段、アッと人を驚かすような仕事をしているわけではない。
縁あって禅僧として出家し、平凡に禅僧として生きてきただけのことである。
当然のことながら、妻はない。妻はないから、子もない。
ついでにいえば、酒もタバコもたしなまず、食生活はずっと精進料理だから、菜食である。
なんのことはない。
菜っ葉にたかった青虫みたいなもので、私自身もそのようなものだと心得ている。>


関大徹老師の言葉は、私のようなへそ曲がりの心にも、すっと入ってくる。
日本に存在した本物のお坊さんが書いた稀有な本だ。
しかも読みやすい。

現代はインターネットだなんだと文明は進歩したけれど、人間としては堕落の一途をたどっているのではないかと読んでいて思う。
本はタイムカプセル。
関大徹老師の息吹が感じられるこの本はオススメだ。




Category: 仏教

- 2019年7月13日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *