毎日輪廻ライフ

 

「体」は物体だから、日々、細胞が入れ替わる。
7年もすれば、完全にすべてが入れ替わった別人になるそうだ。
なのに「私という感覚」は変わらない。
これは不思議だ。

いつもの私が昨日も今日も続く。
死んでからの生まれ変わりである輪廻を待つまでもなく、
これこそが輪廻だという人もいる。
この輪廻から脱出する日がくるのだろうか。

抜け出せないとしても、
せめて7年前の私とは別人のようになっていたい。

昔のアルバムをめくると、7年前の私は奥さんと結納を
かわした時期で、子供もいなかった。
ヨガはしていたけど、瞑想には出会っていなかった。
7年後、環境は変わったけれど根本的なことは変わっていない。
すこしは変わったけれど、革命的には変わっていない。

そもそも「私が変わる」とはなんだろう。
私の成分を分解してみると
「信念」「習慣」
「体」「記憶」「人間関係」「持ち物」
さまざまなもので構成されている。

輪廻からすこしでも脱する道を考える。
ようは一番強い結束である「私」を脱する道だ。

強い信念を持たないこと。
すべてをありのままに眺める中立さ。

体の維持はするけれど、過剰な手入れはしない。

記憶の迷宮にはいりこまず、つねに「今ここ」に在る。

「私の人間関係」を持たず、目の前の人を大切にする。

利用物はもつけれど、所有物はもたない。

 

問題はどうやって「私」が
「私を減ずる」行為をなすかだ。

一日に空白なる時間をつくる。
たしか道元禅師が「人間を休息する」のが
坐禅だと言っていたような言わないようなうろ覚え。
瞑想中は「私」から離れて、
ただシンプルな感覚を味わう。
「私」の重力は巨力で、その引力圏外に
でることは不可能に思えるけれど、
毎日できる範囲ですこしづつ、人間を休息して
空白の時間を作っていくことが、
同じことの繰り返し、強化しつづける輪廻プログラムの束縛から
少しづつ人を解放する。

 

 

 

 


Category: 瞑想

- 2016年4月6日

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