悩むヒマがあるなら瞑想する

 

最近、悩みごとがあった。
気がつくと
「どうしてこうなるんだ、なんでなんだ」と
理由をこねりくまわしたり、過去の出来事を回想したりして
不安になって悩んでいる自分がいた。

「考えること」は正しく使う場合には有効だ。
たとえば、明日の予定をきちんと考えることは有効だけれど、
世の中には考えても答えが出ないことが山ほどある。
それに対して「考える」という機能を使うと、
考えは暴走して「悩む」に変わる。
そして、悩むことは問題をさらに悪化させる。
悩むと不安はさらに大きくなる。

そんな時期に、悩みが頭を占拠していない時に閃いたのが、
「悩むヒマがあるなら瞑想する」だ。

悩んでいる、という状態は
「考える」という機能が、不安や欲望などの煩悩に
汚染されて「悩む」という答えのない迷宮に落ちている状態なのだ。

そんな状態に気づいたら、速攻、瞑想に入る。
「考える」が「悩む」に堕ちて、出口のない迷宮に入ってしまったら、
やるべきことは、その迷宮の出口を探すことではなくて、
迷宮そのものを壊すことだ。

悩むの迷宮は、「悩みのエネルギー」で構成されていて、
歩けば歩くだけ(悩めば悩むだけ)、悩みのエネルギーで迷宮は強化される。
迷路は、悩みのエネルギーをうけて「考える」が暴走して、
生き物のように無限に変形して広がっていく。
その人が賢ければ賢いほど、迷宮の広さは膨大で入り組んだものに
なる。

その迷宮を壊すには、
「心と体の状態を変える」しかない。

私の場合、主に「心の状態を変える」つまり瞑想で
悩みの迷宮から抜け出すことができた。

アーナパーナサティ瞑想というシンプルな呼吸の瞑想をしている私は、
悩みの迷宮に入ってしまった、と気づいた時点で、
それをキューにしてすぐに呼吸を感じる瞑想に入ることにした。
(キューにして、の考え方はツールズからの転用)

アーナパーナサティ瞑想は、
「呼吸を感じて、長いときは長いと感じる。短いときは短いと感じる」
というシンプルなガイダンスに従って、瞑想を深めていく。
呼吸が充分に感じられたら、次に体の感覚から心へと、
「呼吸を感じながら、◯◯しよう」と対象が繊細なものに変化していく瞑想法だ。

アーナパーナサティ瞑想を極論しよう。
つまり、私達は普段、「考えながら歩こう」「考えながら食事をしよう」と
「考えながら◯◯しよう」という世界に生きている。
アーナパーナサティ瞑想では、
「呼吸を感じながら歩こう」「呼吸を感じながら食事をしよう」と
同じ行動をしていても、まったく違うモードに入る瞑想だ。
だから、どんな状況で悩んでいても、それを瞑想にスイッチすることは
可能で、そして、決まって悩むときは暇なスキマ時間だ。
本当に行動しなければいけない切羽詰まって時、悩みは入り込むスキマがない。

瞑想は座ってしなければいけないわけではなく、
ただ意識を焦点をスイッチすることで実践できる。
呼吸とともにあればいいのだ。

悩みの迷宮に囚われてしまったと気づいた私は、
呼吸の感覚に意識をむけて、呼吸から繋がる体の感覚も感じる。
「悩んでいる」というエネルギーが、呼吸と体にどんな感覚を与えているのか、という
ことをシンプルに感じる。
胸が痛い、お腹がシクシクする、体温が低下している、筋肉が硬直している、
呼吸が浅くなっている。
悩みのエネルギーと戦わず、ただ、その影響をなんの考えもまじえずに
シンプルに受容していく。
油断すると、考える機能が、
「呼吸が浅い!?よし、深くしないと!筋肉が硬い!よしストレッチだ!」と
闘争を始めるけれど、その考えるの機能にも気づいて、
また呼吸と体の感覚も意識をむけて、概念ではなくて、リアルな不快感と
苦しみに意識を向けて、闘争も逃走もせずに受容していくと、
いつしか迷宮から抜け出している自分がいる。

たとえるならば、迷宮を歩き回るのをやめて座り、迷宮の壁や
重苦しい空気感を詳細に観察するようなものだ。
諦めて座りこんだ、のではない。
呼吸に意識をむける、という別の次元の努力をはじめたのだ。
「ここから抜け出したい」というエネルギーが、迷宮を維持して、
あらたな迷宮を作り出している。
あなたは、そのエネルギーを迷宮に与えずに、
ただ迷宮を観察しながら、呼吸している。
そうしていくと、エネルギー源を立たれた迷宮はどんどん薄くなり、
やがて静かに消えていく。
閉じ込められているのも閉じ込めているのも私だから、
「悩む」という方向に意識を向けなければ、迷宮を維持するエネルギーは
消えてしまう。
何事もこの世のものは生まれて滅していく。
迷宮を維持しているのは私なのだ。

「呼吸に意識をむけたら、悩みは消えるんだろ?早く消えろ」という
考えにも意識を向けない。
シンプルに、ただ呼吸と体の感覚に意識をむける。
苦しみの無い安楽の状態を切望せずに、呼吸とともに充分に苦しみを
純粋に感じる。
自分の中にある苦しみや悩みや悲しみ、恐怖や欲望を拒絶せず、
抑圧もせず、ただ、あるものとして、呼吸と共にそれらを感じる。
そうすると、結果的に悩みの迷宮は消えていく。
だけれども「悩みを消したい」という思考に焦点を合わせ続ければ、
逃走や闘争にエネルギーを注ぐことになり、瞑想に入れなくなって、
迷宮は強化されていく。

物事に純粋に気づくことをサティという。
サティは、苦しみを苦しみとして、喜びを喜びとして、
鏡のように映し出す。
瞑想をしていても、人生には苦しみも悲しみもある。
だけれども、瞑想者はそれに悩まない。

瞑想をすれば、ずっと人生ハッピーでラッキー?
なんて言う人もいるけれど、
瞑想者の人生は、苦しいことも楽しいことも
その時々でしっかりと味わい、
その時々を受け入れて、今に生きていく。
そうすれば「悩む」ことがなくなり、
「考える」ことの出来る人間になり、
人生も上手くいく。

でも、人生を上手くいかせるために、
幸福だけを感じて生きたいという動機で
瞑想をすると、苦しみへの拒絶感というエネルギーで
シンプルさが失われて、瞑想に入れなくなる。
瞑想のときは、呼吸と体の感覚と、意識を向ける対象を
指示するわずかな思考力以外はすべて忘れる。

「悩むヒマがあるなら瞑想する」
を実践したら、悩みは消えた。
不安は以前として存在するけれど、
純粋なエネルギーとして私の中に存在するだけで、
悩みの迷宮を構成するに至らない。

スターウォーズの決まり文句は、
「フォースとともにあらんことを」だけれど、
我々、瞑想者の決まり文句は、
「サティとともにあらんことを」だ。

アーナパーナサティ瞑想に関しては、この本。
東洋文化を学んだ西洋人の本って、
本当にわかりやすい。
オススメ本。

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Category: 瞑想

- 2017年3月28日

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