幸福な人生は暇つぶし

平日の休日、電車通勤の暇つぶしのために読む本を
図書館に借りにいく車中。
とくに行きたい訳じゃない。
ただ、退屈を紛らわす気晴らしのために行くだけ。

なにかこう、自分をつき動かす強い願望や夢がない。
夢を書いた手帳や目標を持って生きるタイプの人も
いるけれど、私にはどうも嘘くさく感じる。
そういう物は、自分で作り上げた幻想なんじゃなかろうかと思う。

体に痛みもなく、さしあたって悩みもない。
退屈だ。
残念ながら、これが幸福マックスな状態なんだろう。

この退屈を感じないほど、瞑想は効いていないが、
かといって、自分で何かしらの目標を立てて、
喜怒哀楽するような自作自演ライフは送れない。

さっき、新しい車を買ったらどうか?という思考が起こった。
車を買ったら、この退屈がなくなり何か新しいナニかが
始まるのでは、という思考だ。

こういう様々なバージョンに私は人生を引きずり回されている。
○○を買ったら、○○になったら、○○に行ったら、○○をしたら、、、
その他色々のあれをしたらこれをしたら。
しかし、この悩みがなく苦痛がない、
この退屈な状態が幸福の上限だろう。

退屈がなく、幸福になるには、
何かしらの目標や状況に四苦八苦する必要がある。

こうして図書館に車を走らせている今の状態で、
最高の幸福を感じ、幸せの涙を流すには、
どん底の不幸が必要だ。

たとえば、昨日まで北朝鮮の強制収容所にいて、
拷問や飢餓、さまざまな苦しみの渦中にいたとしたら、
拷問や昼飯の心配もなく、自家用車で静かな図書館に行ける
身分というのは、随喜の涙を流すほどの解放感、幸福感だろう。

しかし、私にはさしあたって、悩みがない。
だから、幸福が退屈に感じる。

いままで、何かしらに追われていた。
不安感、恐怖。
それを解消するために、読書をしていたんだろうと思う。

現状が改善するヒントがないか、
不安から現実逃避できないか、
それが私を読書オタクに走らせていた。

しかし、もう今はそれが必要ない。
哲学や、心理学や、仏教の棚はスルーして、
暇つぶしになりそうな小説の棚に行く。

まあ、こういう悩みがなく苦しみが
限りなく少ない状態は、周囲の環境が
一変すれば、無くなるんだろう。
また不安はきっと戻ってくる。
私は別に悟った人じゃないし。

楽隠居のような人生のひとときを
いまは味わっておこうじゃないか。

なんとなく心が軽く、静かだ。
幸福な人生は暇つぶし、なんだろう。





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- 2020年7月13日

Comments

  1. 「恋」が足りていないからではないでしょうか?

    人生は「恋」をしていると、退屈は生まれないそうです。(「アミ」で言っていたので間違いありません)
    何に「恋」するかはとしかずさん次第ですので、お好きな対象をお選びください。

  2. Gさんこんにちわ。
    「恋」ですか、人生への情熱、慈しみ、たしかにそういうものは不足気味かもしれませんね。
    こればっかりは意図的に作り出せないので、なにかとの出会い、自分の中の眠っている情熱との出会いを待ちたいと思います。

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