専門家か総合家か

格闘技の世界では、自然に面白い実験が行われた。
昭和初期には姿三四郎という小説で「柔道最強説」が盛り上がり、
1970年代に空手バカ一代という漫画で「空手最強説」が盛り上がった。
強いのは柔道か空手か。
最強論は、白熱しプロレスが最強、空手が、柔道が最強と様々な論者が激闘したが、結局、答えは出なかった。

そんな状況のゲームチェンジャーが現れた。
グレイシー柔術である。

バーリトゥードという、素手で顔面を殴る、組み付く、最低限のルールしかないなんでもありの大会で、ホイス・グレイシーという痩せた男が、
レスラーや空手家たちをグレイシー柔術で倒してから、そんな○○が最強という説は消えた。

最強はグレイシー柔術である。
一時期、その言葉が真実となった。

しかし、最初は優勢を誇っていたグレイシー柔術も、その戦略や技術が研究されると、不敗神話の輝きは失せた。

そこからの技術革新は、目覚ましい。
もはやグレイシー柔術だけを習得した選手に勝ち目はない。
キックボクシング、レスリング、ボクシング、空手などの他のスキルを混合した選手に負けてしまう。

「最強の格闘技ってなんだと思う?」と誰かに聞かれれば
「総合格闘技じゃない?」と私は答えるだろう。

柔道しかしらない人が、総合格闘技のルールで戦えば相当の確率で打撃で負ける。打撃技しかしらない人は、寝技で負ける。

総合格闘技で活躍していたストライカー(打撃のスキル中心の闘技者)のミルコ・クロコップでさえ、寝技のスキルを持っている。
逆にまったく寝技の素人だと、その弱い場所を狙われてそこから敗北する。

得意不得意はあるけれど、現在の総合格闘技の選手は、打撃、投げ技、寝技、すべて出来る。

柔道、空手はもはや最強論の中には入らなくなった。

私が空手家で最強論を喋ったら、たぶん聞いた人はこういうだろう。
「じゃあ、総合格闘技の試合に出てみたら?」
総合で勝てる空手家はいないだろう。

では、空手と柔道とは一体なんだったのだろう?

何故、寝技で一発で負けるような不完全な技術体系なのだろうか?

じつのところ、これは競技化の弊害だ。
柔道は、もともと打撃を含む総合武術だった。
しかし、体育の目的のために危険な技や打撃を禁止し、
ルール化し、競技となった。

空手もそうだ。
もともとはトンファーやサイ、ヌンチャクなどの武器術を含む総合武術だったものを競技化のために、特化した。
たとえばある流派は、掴みなし、直接の打撃なし、投げ技なしなど。
競技に勝つには、上下にトントンと飛ぶような、空手の型に含まれていない俊敏なフットワークが使われる。
投げが無く、審判が転倒したら止めてくれるいからだ。
攻撃はポイントになりやすい正拳突きの攻撃ばかりになる。

専門化して、競技化すると、その競技の世界でだけ通用する戦い方が生まれる。
だけれども、その専門外の想定が現れると、一気に脆くなる。

競技空手は脆い。
そして、最強と言われる総合格闘技も脆い。
そのルールの範囲内に留まっていると、強いけれど
そこから外れた状況では、意外な脆さが露呈する。

これには異論が出るかもしれない。
しかし、総合格闘技も競技だ。
そのルールの世界で強弱を競う競技なのだ。

たとえば、金的への攻撃、頭突き、噛みつき、目突きが禁止だ。
護身術として大変優れている少林寺拳法は指で目を叩く目突きと
金的蹴りなどの技術が優れているが、これは反則となる。

競技化された格闘技は強い。
しかし、ナイフで攻撃されることも想定していない。
二人で襲いかかるのも禁止だ。
相手が複数人のとき、寝技になったら、もうそれだけで絶体絶命だ。
ルール違反を見張るレフリーもいて、
選手が衝突しても安全なように、リングにはロープが張ってあり、
投げられると致命的なコンクリートではない。

私は昔、中国武術を学んでいたが、なんでもありの実戦で今でも
有効なのは伝統的な武術だと思う。
総合武術だからだ。

中国武術の戦い方は、相手がナイフを持っていても
素手でも変わらない。
武器を持っていても、素手でも、体の使い方は共通している。

こんなことを書くのは、長年の悩みを考えているからだ。

人は専門家になるべきか、総合家になるべきか。

私は色々なことに興味があり、専門家、職人になれない。
あれこれと試す性分がやめられない。

そこらへんの答えはまだ出ないけれど、
専門家は、もともと総合されたものから、抜き出されて専門化されたと
いうもので、その専門化を支えるルールが機能している場では強いが、
そこから外れると脆いということは格闘技の世界を見ればわかる。

だから、さまざまな面を強化したいと思う。
けれど、それだと力が分散して突出した何かが無くなる。

ちょっとずつ理想形に近づいているけれど、
まだ暗中模索。



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- 2020年6月10日

Comments

  1. いつも楽しく読ませて頂いています。

    ルールが無いと決着がつかないため、ルールに最適化した専門家が最強となります。
    ただし、ルール改訂がある場合は最強が変わります。ルール改訂の権力はルール外なので最強か否かの議論外の理解です。

  2. 私がいま時点でベストと思うのは次です。
    ①自分でルールを設定する
    ②ルールに技術、身体や思考等を最適化する「専門家」になる
    ③ルールは適宜自分により改訂する

    スポーツの問題は他者が比較のためにルール設定しており、「喧嘩したら勝てるか?」などに有効性が低いことです。
    また、スポーツのルール設定は一部の人達のメリットにより定義・改訂されていくので、個人としてはデメリットが生じる場合があります。

    総括と①②③で最強を定義するならば、常に自分が最強かも知れません。

  3. Gさんこんにちわ。

    ①自分でルールを設定する
    ②ルールに技術、身体や思考等を最適化する「専門家」になる
    ③ルールは適宜自分により改訂する

    これはいいですね。
    これって幸せになるコツとしても使えますね。
    自分のルールで生きて、他者が押し付けてくるルールでは生きない、ですね。

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