守護記憶と塔の人

予定が入ったとき、カレンダーが一気に重くなるような予定がある。
「試練」とまでは言わないが自分の普段の自分を試す
「試験」ではあること間違いなかった。
<30人くらいの前で40分、講義をする>という予定。

吃音持ちの自分には人前でしゃべることは不安だ。
失敗しても死なない、けれど大ダメージを受けるであろう。
大勢の人の前で吃って喋れなくなる、というのは悪夢だ。
できるかな、そんな試験が昨日あった。

当日。
会場は4階にあり、私は一人、そこに向かう階段を登っていた。
死刑執行の囚人は、絞首台の登る13階段を登るときに、
恐怖に震えるのだろうだけど、
階段をのぼっていく私の脳裏に、
いままで心を強くするためにしていた鍛錬の記憶がよみがえった。

ケトルベル。
ヨーガ。
瞑想。
節制。

流した汗と忍耐。
道場にしている家の2階の窓から、鍛錬が終わって眺める田園風景。

ふと、大丈夫、私は強い、と自然に思えた。
生まれて始めて、試験や試練の前に自信を持てた。
自信とは、積み重ねた鍛錬の末に自然に湧き上がるものだった。

とはいっても、たいした鍛錬はしていない。
毎日、少しづつしていた事が、
私を守る記憶になった。

自分を守る守護記憶にまもられて、
結果、発表は落ち着いて、無事にできた。
自分の中ではかなり上出来で、
アドリブで色々と話すこともできた。

まさにウィリアムジェームズの言葉どおりだった。

毎日ちょっとした練習を行って、努力する力を維持しなさい。
とくに必要のない場面で立派な行いと続けるとか、
毎日あるいは一日おきに、ただ難しいことをするために
難しいことに挑戦していると、
ほんとうに緊急事態が迫ったときに、あわてたり
自信がなくて不安になったりしないですむ。
この種の修行は住宅や品物にかける保険のようなものだ。

毎日とくに必要のないところで集中力を養い意志を鍛え、
禁欲を実行している人も同じことだ。
何かが起こったときに、何もかもが揺れ動いて、
根性のない人々が籾殻のように吹き飛ばされても、
塔のように堂々と立っていられるだろう


すこしは籾殻のような根性のない人間から、
塔のような人間になれた、のかな。


追加

ウィリアムジェームズの言葉

すべての教育において大事なことは、
神経システムを敵にするのではなく、
味方につけることである。
そして成果を資本として活用し、
その金利で楽々と暮らすことだ。
そのためにはできるだけ多くの有用な
活動を自動化、習慣化する必要が
あるし、自分にとつて不利な道に
進んでしまわないように、疫病を
予防するように防御しなければならない



 


Category: 生活を変える方法

- 2019年11月26日

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