一つの敗北、車の乗り換え

約3年前に私の車は後ろから追突され、トランクが閉まらなくなった。
私の過失0の事故だ。
綺麗に修理してもらえると思ったが、
その時ですでに12年乗っていた古い車だったので、
修理代が出ないくらいの保険金しかでなかった。
(つまり車の価値が、修理代金を上回った)

何故、過失がない私は身銭を切って直さないと
いけないのか?

癪なのでDIY。
金具をつけて南京錠でトランクの開け締めして乗っていた。







それが3年前。
そんな状態でも2回車検を通した。
若き日の修行、8万円で買ったエアコンの無い車に2年間乗り続けるの行で、
鍛え鍛えし私には、エアコンも壊れていない、カーブの最中にパワステが壊れて、ハンドルが激重になって死にかけ体験をしない車を売る理由はない。

そして、今年で14年目の車。

とうとう家族の声で車を買い換えることになった。
「あんな車じゃお盆に実家に帰れない」
そうだよね。
家族のせいにしたけれど、頑として私が折れなければいいだけのこと。
心の隙間で、私も買い替えを良しとしていた。

けれど、罪悪感。
20年乗るよ、といっていた車を裏切った。
果たされなかった約束一つ追加。

車を擬人化しているというのは自分でもわかっている。
車に魂はない。
けれど。
生物でもないので、悲しんでいるのも、
私は捨てられたと責めているのも、全部私の
心の中の独り相撲なんだけれど、罪悪感は消えない。

今度買った車は、その車の後継車のホンダシャトル。
程度のよい中古車が見つかった。
今度こそは20年乗る。
そして、同じように追突されたら、きっと修理して乗る。










Category: 家族, 未分類

- 2020年10月18日

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