2月14日
指輪
いやー、今日はバレンタインデーですねー
いろいろとドキドキしている人がたくさんいるんでしょうね。
私もドキドキしてます。
といっても、風邪でなんだか頭がドキドキするのです。
まあ、そんな日は家でDVDでも見ているに限りますね。
現在熱は37.8度、、、、、、なんか変な感じにテンション高いです。
さて、今日私が鑑賞したのは
「ロードオブザリング 王の帰還 エクステッドバージョン」
私はそうとうロードが大好きで、
「旅の仲間」「二つの塔」も大幅増量のエクステッドバージョンで
鑑賞しているのです。だだでさえ長いロードにさらに+40分という
未公開シーンが加えられているので、見るのは一仕事ですが、
やっぱりロードは最高です。
私は実はロードオブザリングは、一人の人間の内面世界の物語
だと思っているのです。
じゃないと、設定がおかしいと思いませんか?
まず、悪の元凶のサウロンが具体的じゃない。
燃え上がる巨大な邪眼として表現されていますが、
普通の物語のように、具体的な実体がなく、
主人公が剣で切り捨てることもできない。
不安や恐怖の圧倒的な力のイメージそのままなのです。
そして、指輪を運ぶのはホビットであること。
ホビットは、剣で戦えるわけでも、魔法が使えるわけでもなく、
ただ小さいという特徴しかなく、普通だったら、
「ボケ担当の楽しい仲間」という役割をふるのが最適です。
エルフの王子レゴラスが指輪を持ち、人間の王アラゴルンが
サルマンを剣で切り捨てるという
のが物語としえ一番オーソドックスで爽快感が高いのです。
弱いホビットが逃げまどいながら、変な生き物をつれて
指輪を運搬し、その大ボスはなんか凄いんだろうけど漠然としている。
というのは、設定的にかなり変わっていると思いませんか?
ですよね。
でも、あれが人間の内面世界だという話になると
すべてがすんなり行くのです。
まずそれぞれのキャラクターは、
アラゴルン=意志
エルフ=無意識
ドワーフ=肉体
魔法使い=知性
なのです。
で、ホビットは「希望・勇気」
危機に陥ったとき、心のなかに渦巻く不安や恐怖「サルマン」に
比べれば、まったく小さく、とるにたらない力に見える。
けれども、懸命に歩いていくホビット。
指輪を前にした会議で、
剣士も、弓の名手も、強靱な戦士や一流の魔法使いも
誰一人として、「私が指輪を捨てに行く」とは言い出さなかった。
唯一、ホビットが行くと言ったのです。
剣も使えない、魔法も使えない、弱いホビットは
人が持つ希望や勇気そのものです。
その勇気や希望が、すべての旅の仲間を動かしていく。
王座につくべき意志=アラゴルンは、過去の出来事に
打ちのめされ、サウロン=恐怖を倒すべき剣=自信は折れ、
さすらい人として世界をさまよっているのです。
そして、その空位の王座には臆病で愚鈍で嫉妬深い
執行者が座っているのです。
酒場でホビットにであったことがアラゴルンの旅のはじまり。
指輪は欲望や偽りの安定を表し、それはサウロン=恐怖が
すべてのソースを操るために使う力。
このままでは、サウロンの力にすべてが支配されてしまう、、という
ギリギリの状況になり、そこでそれに対抗する力が
ぞくぞくとでてくるのです。
エルフの王子レゴラスは、エルフにしかなく感覚の眼をもって
アラゴルンを助けるのです。折れた剣を鍛え直し、
再びアラゴルンの手に戻すのもエルフ。
しかし、エルフは旅立つと決めたアラゴルンに剣を渡しませんでした。
エルフの王が、剣を渡したのは、試練を乗り越えた後のアラゴルン
でした。
エルフは意志を支援する無意識を象徴しているのです。
じつはこれに対になるキャラクターがあるのです。
それがウルクハイと呼ばれる大きなオーク。
これは元々エルフだったのですが、拷問をうけてウルクハイに
なったという設定です。これは意志を阻害する無意識を
表しているのです。
いいことをしようと行動していても、ふっと
「いいじゃないか、最低な自分で」とか
「どうせだめだよ」なんて考えが浮かぶとき、そこにはウルクハイが
いるのですね。
さて、アラゴルンをサポートし、ホビットを支援する知性
ガンダルフには対として、悪の魔法使いサルマンがいます。
ガンダルフが道義心に基づいた知恵であるならば、
サルマンは悪知恵そのもの。
ガンダルフがホビットと仲がいいのは希望、勇気、知恵は
それぞれがそれぞれを補うものだからです。
悪知恵のサルマンが、サウロン=恐怖の手下であることと対象ですね。
ホビット=希望、勇気は対になる変わり果てたホビットのゴラム=絶望に
妨害されながらも指輪を破棄するのです。
最後に絶望のゴラムと欲望や偽りの安定の指輪、恐怖のサウロンが
同時に消えるのは、それがセットだから。
そしてアラゴルンが王として帰還し、旅の仲間は解散して終了なのです。
本来のあるべき自分を取り戻し、危機は去った、というわけです。
最後の最後で、不可解なシーンがあります。
それはガンダルフやエルフが船に乗って、どこかに行くというシーン。
あのお別れをみていると、船に乗ったら永遠に会えないし、
まったく別の世界にいって消えてしまう的な感じなのです。
これは、危機の際に出現したペルソナが無意識の海に帰っていくシーンでは
ないでしょうか。
という風に解釈して映画を楽しんでます。
一度そういう視点でロードオブザリングを見ると面白いと思いますよー。
トールキンさんは、そういう意図でロードオブザリングを作り出したと
思うんですけどねー。
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