週刊リクニュース

10月31日
おうむ

インターネットのウエブサイトが、リンクによって

膨大な広がりを持ち、ページが途絶えることがないことも

凄いと思うのですが、別に目新しい仕組みではないのです。

読書好きには本屋や図書館などの膨大な

文章群が昔からあるからです。

ネットサーフィンのような具合に、

ある本を読むと、本の内容のなかから、

新しい興味が浮かび、次の本へ繋がり、いつまで

たっても読みたい本が尽きないという現象はまさにネットそのまま。

私はこれを勝手に「アナログネット」と読んでいます。



さて、すこし更新の感覚が空いてしまったのですが、

これはインターネットよりも「アナログネット」に

ハマってしまった結果なのです。

企業や宗教が組織だっておこなう洗脳の本を

怖いモノみたさで読んだら、止められないなりました。

辿った経由はこんな感じです。



一冊目「カルトの子」米本和広

2冊目「洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇」米本和広

3冊目「オウムはなぜ暴走したか」早坂武礼

4冊目「オウムからの帰還」高橋英利

5冊目「私にとってオウムとはなんだったのか」早川紀代秀

6冊目「オウム裁判傍笑記」青沼陽一郎

7冊目「麻原彰晃の誕生」山文彦

8冊目「慟哭 小説林郁夫裁判」佐木隆三





もう最近は読む本オウム一色。

なにげなく口ずさむ鼻歌も

「しょーこー、しょーこー、しょこしょこ、しょーこー、
あ・さ・は・ら  しょーこー♪」

だったり、リクと散歩に行くときも

「散歩するぞ、散歩するぞ、徹底的に散歩するぞ」

と連呼したりしています。

というのはフィクションなのですが、

オウム真理教事件、いまさらながら恐ろしい事件でした。

グルこと麻原が、なぜあれほど信者を引きつけられたのか

たくさんの本を読むとなんとなくわかるような気がしました。

オウム真理教の特徴、それは

「本物が入り口、偽物が出口」

なのです。

オウム真理教に入信したならば、まず最初におこなわれるのは、

ヨーガと呼吸法。

その練習を通じて、体と心が変わっていく実感が、

オウム真理教を信じる礎になるのです。

ヨーガの悪用、一言でいえばそうなります。

呼吸を止めるなどの修行法もおこなわれているので、

酸素が脳にいかなくなり、神秘体験をしたりする

道場生も続出し、それが麻原のトンチンカンな

教義を信じさせる材料になります。

とくに神秘体験は、圧倒的な説得力をもち、

麻原のありえない話が、真実の響きをもって聞こえるようになります。

そして、そのなかの何割かが出家するのです。

解脱や真理に興味のある道場生のなかでも特に真剣な人が

厳選されるわけです。

オウム真理教の出家とは、グルに120%自分を明け渡すことを

意味します。

地下鉄サリン事件の実行班で、元心臓外科医の林郁夫は

出家した際、資産をすべて売却し、8000万円の寄付を教団に

したそうで、まったくの一文無しでグルの下につくことになります。

もう引き返せないのです。

過去現在未来を見通す、最終解脱者と信じるグルに依存する心が

でてきても無理はありません。

バカ高いセミナーの参加料を払った人は、

「これだけの金を払ったんだ、だから絶対効くはずだ」と

思いこむという話を聞いたことがあるのですが、

これはもう人生のすべてを払った状態なので、

信者は全身全霊で麻原を信じるという行為の

スイッチを押してしまった状態なのです。

それだけではなく、サティアンにはいったら、各種の洗脳手段が満載。

実際にLSDを使用した儀式もあるほど。

読んでて一番怖いと思ったのは、ニューナルコと呼ばれる

記憶を消す技術。

薬物と電気ショックにより、本当に記憶障害が起こせる。

人の記憶を消せる方法を探せとのグルの要望に応えるべく、

医師の林郁夫が「拷問と医者」に上記の方法が記載されているのを

発見し、実施したそうで、、、、、終わってますね。




あと麻原彰晃という人もかなり出生が普通じゃない。

小学校あたりから、全寮制の盲学校に入れられるのですが、

この人、片目は全盲ですが、残る目は視野狭窄症ながら

見えるのです。

全盲の子たちの中に一人だけ目が見える子がいる。

必然的に麻原は、児童たちを支配します。

お菓子をとりあげる、殴る、ひどいイタズラをする、、、、

まわりの子供は目がみえないのに、自分は見える。

特別な自分、なんでも見通せる自分、絶対的な自分。

まさにグル。

麻原はグルとして振る舞うことに馴れていた、板についていた。

特殊な環境が作り出したグルしての資質。

最終解脱し、過去現在未来すべてを見通し、人のカルマが見える

と称して、信者を支配した将来を予感させるような

原風景のように感じました。



出家した林郁夫は、

「解脱して人の役に立ちたい」

という善意の思いからオウム真理教の入り口をくぐったのですが、

出口は

「地下鉄サリン事件の実行犯」でした。




読んでいて思うのは、

「善悪の判断」ほど怖いものはないということでした。

「あの人はこれから生きていても悪行しか積まないだろう、そして地獄
に落ちてしまう。それだったら、悪行をたくさん積むまえに
ポアしてあげるのが愛じゃないか?ポアして私の力で天界におくって
あげよう」

という理屈を信じて、殺人を犯した信者達。

ちなみにサティアンでは、殺生になるという理由で

ゴキブリと鼠を駆除しなかったため大繁殖し、

ひどい状態だったそうです。

監禁も拷問も、すべて宗教的理屈でもって「愛」だと

信じて実行した信者。


しかし、こういう特殊な解釈はオウム真理教だけの

ものではないなーとも思いました。



たとえば、広島に落とされ、多くの民間人が死傷した原子爆弾。

「あれは戦争を終わらせるために必要な手段だった」

と必要不可欠な犠牲だと主張する人がいるし、

イラクでは「テロリストを撲滅するべく正義の爆弾と銃撃、

そして、正義の強制収容所では正義の実行のために必要な

虐待と正義を貫くための拷問がおこなわれている」

正義と自由の名のもとで戦争しまくる国家と

オウムの違いはどこにあるのでしょうか。





私達は人間は、

自分の信じる正義のためなら、あらゆる手段は正当して

しまうような性質があるような気がします。

オウム真理教事件と洗脳、読む前は「異常で異質」だったのですが、

読み終わると、世界中どこにでも起こっている出来事のひとつ

という感じがしました。

それにしても、「本物と偽物」の組み合わせはヤバイですね。

私も絶対騙されると思います、、、、、、





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